地図を描く

第九号で、やっと念願の地誌に挑戦できた。地名三昧というわけだが、知らない人にわかってもらうためには地図が必要である。お誂えの既製品があればそれに越したことはないが、内容によっては自分で再構成する必要がある。昭和初期の首都圏南部における私鉄路線図などはそれである。何種類かの地図を組み合わせ取捨選択して必要な情報を一枚の中に組み込む。一番初歩的な作業なのだが、それが楽しい。大昔、ボール紙を張り合わせて自分の町の地形図を作ったことがあったが、出来栄えはともかく、それに次ぐ楽しさであった。とやっていると、傍らから、獨墺圏の版図とは何かと問われた。「君はあのオーストリア・ハンガリー帝国を……」と、口から出かけて、咽の奥に詰まった。百年前に雲散霧消したあの国は、欧州の奥地、東欧に近く、今ではひっそりとした佇まいの中に時を過ごしている国が、世が世なら、あのナポレオンでさえ征服しきれなかったあの大帝国の核だったのだ。などということは今知っている人などいるわけがないのである。ロートリンゲンが、ロレーヌのドイツ語読みだとか、ロシアにとっての凍らない海はバルト海だけだったとか、シニョール・ジョバンニが横死したトリエステが、海のない大帝国の死守しなければならなかった唯一の海への出口だったとか、獨墺圏の説明図作成途中で、一本一本当時の国境を確認しながら古い地図をトレースしながら、一人、妙な感慨を味わったのである。