取りあえず検索やってみました。vol.1

註作業で残った不明語彙の一つに、フランスの心理学者シャルコーのエピソードとして取り上げられたケルンの聖ゲオルグ事件だが、手稿によると記述者はヒュヘランドとされ、地名もドウイスオルグになっていた。ゲラ校の際虫太郎によって現行のシャルコーに変えられたものだ。
“手稿版の語彙にまで手を出すのは”とも思ったのだが、このあんまりな語彙に興味を惹かれて調べてみた。ところがそのままの語彙で、早稲田大学の古典籍総合データベースの蔵書にあることがわかった。残念ながら一枚もののチラシであったが、きっかけができたので、もう少し調べてみることにした。幸い原綴が発見できたので、十八-十九世紀ドイツの医学者フーフェランドC.W.Hufelandにたどり着き、幕末期の洋学者、緒方洪庵などによって邦訳もされていたことが判明した。
これがその人
それにしても、虫太郎の情報収集力を再認識した。
さてもう少し手稿語彙に取り組んでみよう。