文字の迷路 文字の闇

演目:『太素』の俗字と誤字 日本内経医学会 左合昌美/異体字とはなんぞや 日本内経医学会 宮川浩也
  ☆中医古籍異位字与『内経』研究  南京中医薬大学 沈 澍農教授
  ◎質疑応答 他 於 東京医科歯科大学臨床講堂Ⅰ 7月31日(日)午後2時〜5時
自分たちは、文字を使うのは呼吸をするのと同じくらいたやすいと思っていたし、もっと言えば、漢字仮名交じり文という日本語の形は、自分たちに天の与えてくれた空気のようなものだと思ってはいなかっただろうか。そうして、その文字は紙に表すしても、こうやってネット上で表現するにしても、活字という決まった字形と書体とが自然にあると思ってはいなかっただろうか。縁あって、今回の講演会を聴講させてもらって、文字に対する現代日本人の体感といってもいい、そんな思考を覆される思いだった。
意志伝達の方法として人類は、声=音を最初の意志疎通の道具として使ってきた。しかし人類史における例外的なこの百年あまりを除けば、人類はその伝達手段をそのまま保存することはできなかった。伝承という記憶の持続がそれをあやふやに後世に残してきた。だからこそ、最高の秘儀を個人的な口伝として伝え続けたのは、それが秘密と公開(記録)のせめぎ合いに対する最良の方法だったからだろう。
文字の歴史が音声では伝えきれない、人類の呪術的な表現を記録することから始まっているのは、洋の東西を問わない。しかもその伝達は筆写という大変な労力と忍耐の必要な作業の積み重ねによって、現代へと伝えられてきているのだ。ある一部の文明ではそれらの表意の部分を薄め、表音記号として定着させてきたのに対して、一方では連綿とその表意の部分を伝えてきた文明もあった。そこでは文字の形自体に大きな意味が含まれていたのは当然である。しかし、長い間に伝えられた筆写という作業による伝承が、いかに心許ないか。細心の注意をこめて行われた、筆写という行為にもかかわらず、やはり、そこに無作為の過ちや、故意の改竄が介入してきてしまうのはやむを得ないとおもう。
この講演会を主催した方々は中国から伝わった古代医書の研究という作業の中で数千年にわたる伝承のなかで起こった、用字の錯綜という迷路へと踏み込んでいったのである。音声の記録保存の世代を人類史における例外ととらえたのだが、実は最初に書いた活字による保存でさえも人類全体の歴史から見れば例外といってもいいかもしれないのだ。我々はその例外の中に暮らしているから、文字というものに対する安易な信頼を隠そうとしない。その安易な信頼の中で、簡便な伝達手段の恩恵を享受しているのだということを忘れてしまっている。わずか3時間でしかない講演と、20ページに満たないレジュメはそんな反省と、興奮を与えてくれた。