最近の読書傾向(笑)

うーん。どうなんだろう。端から見れば実用でも何でもない、趣味の読書にしか見えないのに、自分にとっては“何かのために読む”という、いわば、プラクティカルな資料漬けの読書が、この2ヶ月ほど続いて、いささか、悲しいものがある。
無用の用。純粋に楽しむだけの読書、を目指してこれまで来だけに、最近のていたらくは、自分の中にきつい欲求不満が巻き起こっているみたいだ。その反動がTVモニターにでるようで、最近のヴィデオ再生のラインナップがめちゃくちゃだ。アナクロニズムマゾヒズムの極致「愛の嵐」のジャムの瓶。流されているだけなのになぜか時代の寵児になっていると勘違いしていく俳優の悲喜劇「メフィスト」広いスタジアムのどこへ逃げてもスポットライトに追いかけられるエンディングは馬鹿な俳優の白塗りにしか見えない不細工なアップで終わる。ギリシャへの愛、だめでも、愚図でも離れられない自分の国への愛の信仰告白「日曜はダメよ!」。素天堂の中では、戦争をもっともリアルに描いた作品と信じている「キャッチ22」に流れる無意味な死と、いつもそれと隣り合わせの明るさ。つきあわされる人は大迷惑だな、この混乱は。あげくに酔っぱらって吐くせりふは「いーんだよ、これが今なんだから」だそうだ。
正月休み最後の日、銀座松屋古書市で長沼弘毅のシャーロッキアーナを2冊、目にする。洒落たロンドンの町並みを描いた、表紙のペン画が素敵だ。今の自分にはもう買える値段ではないので、立ち読みでこの装幀者を確認する。そう、やっぱり伊丹一三だった。それが確認できれば、もういい。何冊か手に取ったけれども、一番うれしかったのは、美しい地味な緑の箱に収まった立風書房版「椿實全作品」だった。さあ、ゆっくりと、物語の世界にひたろうか。