アイヴィー・リーグ ルネサンス対決 マシュー・パール「ダンテ・クラブ」コールドウェル/トマスン「フランチェスコの暗号〈下〉 (新潮文庫)」

sutendo2006-02-11

あいにく、ひねくれ者の素天堂はあの大ヒット作「ダヴィンチ・コード」をまだ読んでいない。ルネサンス気違いでレオナルド・フリークなのにというか、だから、読みたくなかったといっていいかもしれない。ただこの二冊と比べられることが多いので、そのうち読んでみるかもしれない。何しろ、トリノの聖骸布は《レオナルドによるカメラ・オブスキュラの印画像である》なんていうトンデモ解説書までレオナルド文献として読んでいるのだから。まあ、今回のタイトルでいえば、ダン・ブラウンアイヴィー・リーガーではないようだし。
まず読んだのは「フランチェスコ…」の方だった。カヴァー裏作品紹介の“ルネッサンス”と“暗号解読ミステリー”の二語に掴まれたのだった。その時は、まさか、このフランチェスコが、フランチェスコ・コロンナだとは、夢にも思わなかった。澁澤龍彦の名エッセイ「胡桃の中の世界」さらにその書中、もっとも魅力的でありながら、日本語訳はおろか当時、英語訳さえなかった幻の「ポリフィルス狂恋夢」。今なら、フランス語の改訂版はもとより、ジョスリン・ゴドウィンの完訳英語版もたやすく手にはいるし(初版本の活字書体を再現している)、MITの原典ネット版まであるんだものなあ。とまあ愚痴はその辺にしておいて。何とも魅力的なそれを題材にして、現代のプリンストン大学でのキャンパスでの殺人事件と、暗号の解読研究による、ルネサンスの闇への伝奇的アプローチがない交ぜられて語られる。ただ、原典解読に対するアプローチとその結論は、結構説得的だし、おもしろかったのだが。如何せん、現代に起こる事件に華がない。それが、読後すぐのレビューが書けなかった原因なのだ。あぁ、もったいない、が感想じゃあ、レビューは書けない。
対する「ダンテクラブ」は舞台が一九世紀半ばのハーヴァード大学。帯の惹句も魅力的だったのだが、しかし、ハードカヴァー角背二段組四百ページ近い分量にちょっと躊躇していて読むのが遅くなってしまっていた。
南北戦争北軍の勝利で終わったものの、その傷口はまだまだ大きい。あたらしい合衆国の形態は模索の中でまだ混沌としている。この作品は、先ずそこから入ってくる。アメリカの国民詩人と謳われたロングフェローとその仲間達がそんな時代に、ルネサンス桂冠詩人ダンテのライフワーク「神曲」の英訳を思い立った。しかしその作品内容に対する偏見と、学内に於ける思想的偏向(これは現在のアメリカの一部にも顕著に残っているのだが)によって、当事者に対する圧力が大きくのしかかってきていた。そこに起こった猟奇的な殺人事件。勿論、単なる文学者のグループにそんな事件の詳細が伝わるはずもなかったのだが、グループのひとりオリヴァー・ウェンデル・ホームズ博士が二件目の殺人の検屍に偶然立ち会わされたことから、その事件が、彼等の係わる「ダンテの神曲」と深い関係があることに気づかされる。彼等の翻訳作業中の「神曲 地獄篇」の内容通りに、ボストンの上流階級のものが“処刑”されているのだ。先に書いたとおり、米国には「神曲」のテキストが流布しているわけはない。とすると、疑われるのは自分たちなのだから、自分たちで、その犯人を捜さなければならない。そんな、巻き込まれ型のにわか探偵達のアタフタする様が最初のうちはユーモラスなのだが、だんだん、追いつめられていくサスペンスと、犯人像の見事な構築は素晴らしかった。
時代背景と、彼等の使命感。さらに、「神曲 地獄篇」の描写そのままにくり広げられる連続猟奇殺人が相まって、見事な世界が見えてくる。何より、探偵達と警察関係者の人物造形がリアルで、旧式の警察グループと黒人との混血による初めての警察官という、名画「夜の大捜査線」のシドニー・ポアチエを彷彿させる、脇ではあるが魅力的なキャラクターの動きもよかった(これは映画化を狙った人物設定だと推察できる)。人によっては、犯行の解明がご都合主義だという感想もあるかも知れないが、探偵達が実在し、史実と大きくからんで構成されている以上、この解決は、素天堂的には十分納得できる。
しかも犯人がダンテの原典をどうやって知ったか、また、どうやって実行したかというというあのエピソードは、南北戦争という未曾有の内戦による後遺症としてのこの作品の時代背景を引き立てて、よくあるオカルト・ホラーに逃げなかった作者の手柄だと思う。
とここまで書いて「フランチェスコの暗号」を確認したら、著者のひとりがハーヴァード出身者だったので、このアイヴィー・リーグ対決はドローになったしまった。