落穂拾いから 合本というもの

田之助

素天堂のように金はないが、好奇心は有り余るほど持っている、という人間にとって、戦前の好事家による雑誌の切り抜きを製本屋で綴じさせた合本ほどありがたいものはない。他の記事や目次を欠いており、趣味の偏りでまとまっているので、書誌的にはほとんど意味がなく、だからこそ、あれば比較的安価で古い資料を入手できる、という利点がある。明治末期から大正前期の「早稲田文学」を中心としたスクラップなども、そうやって手に入れたものである。
最初期の新劇運動に関する資料を集めたものなのだが、要所要所に綴じた人の趣味が入っている。そこには小宮豊隆による“露西亜舞踊”のエッセイがあったり、いかにも仮名だとわかる花園緑人という著者の“タンゴ踊の問題”などというものも入っている。勿論圧巻は「藝術座の記録 中村吉藏」などの資料や、晩年の島村抱月の西洋劇への傾注と、その結果としてのストリンドベルイなどの翻訳なのだが、素天堂にとって大事なのは、趣味の面で反映されている、秦豊吉の貴重なエッセイなのである。のちに東宝の重役として、大衆演劇の興隆の仕掛け人となり、丸木砂土の筆名で、ヨーロッパ文学のリベラルな一面を発表し続けた、彼の初期の作品かと思われる「ミュンヘンの人形芝居 ―この紹介を秋田雨雀先生に送る―」や、戦後私家版で発表されただけの沢村田之助の研究の一部「錦繪に現れたる田之助 (三代目澤村田之助傳のうち)/ 一、扮装繪と見立繪。/ 二、人形振と踊れる田之助。/ 三、壽語録團扇繪玩具繪鬘繪並びに痲疹繪。/ 四、評判繪。/ 五、錦繪中の俳句。/ 六、樂屋の田之助。」などを見ることができる。とはいえ、その反面、「なんでこれがタイトルだけなの」と叫ばずにはいられなかったのは「詩、詩人、文献 詩集『轉身の頌』序 日夏耿之助*ママ」冒頭一ページのみ、であった。それは秦豊吉のエッセイの続きページだったのだ。この人には日夏は対象外だったのだな。
で、次回は美術雑誌からの拾いもの。