聖典の霹靂 「黒死館殺人事件」生原稿拝観  於世田谷文学館

sutendo2006-04-16

芦辺拓氏の懇切なる慫慂で、夢の虫太郎原稿を拝謁できました。本来ならばすぐにでも、そのお礼かたがた、感想を書かなければならなかったのですが、数十年間追い続けた「黒死館殺人事件」の生原稿を、直接手にとり、虫太郎本人の筆跡をたどれるという、夢のような経験のあとではすぐに書けるわけもなく一週間を経過させてしまったわけです。
素天堂にとって、その消息(原稿発見)をはじめて聞いたのが、東雅夫編集長から雑誌「幻想文学」に拙文を依頼され、さらに、松山俊太郎さん、篠田真由美さんとの鼎談をセットしていただいたその当日でありました(もうそれも十年前になってしまいました)。世田谷文学館に寄贈されたそれを松山さんが東氏、K会のI編集長と連れだって参観されたその後に銀座でお会いしたのです。多分偶然だったのでしょうが、若干興奮気味の上気された松山さんの表情は忘れられませんでした。その時の東さんによるルポが「幻想文学」48号に掲載されているので、ご存じの方も多いと思います。
松山さんとは、教養文庫のお手伝い以来、いろいろお世話になっておりましたが、篠田さんは初対面にもかかわらず「建築探偵シリーズ」や創元社の推理デビュー作以来のファンでもあり、お話は盛り上がったのですが、残念なことにテープレコーダーの故障というハプニングのためにその内容が雲散霧消してしまったのは、お二人のご高説にとっては不幸でありましたが、素天堂の悪癖「酔余の暴走」にとっては僥倖でありました。
さて、生原稿拝観の当日でありますが、朝6時過ぎに目を覚ましながら、実際には何の関係もない捜し物から家捜し、三時間に及ぶ大掃除。まあ、無駄とは思いたくないが、芦辺さんに渡す資料を作成できたのが12時ちょっと前、その上よせばいいのに駅の途中の古本屋をのぞき、中公版「新集 世界の文学」の放出本を見付けて(やったあ、クノー「聖グラン・グラン祭」編とアナトール・フランス「ペンギンの島」編だあ)予約したりしてさらに墓穴を掘る。結局世田谷文学館に到着したのが約束の十三時を大幅に遅れ、朝食どころか昼まで抜いての二十分遅れ。その上書き出した連絡先を自宅に忘れて、遅刻の連絡も不能という体たらく。本当に申し訳ありませんでした。
早速、濡れティッシュで手を拭いて原稿とご対面。事前に多少の情報や、通常展観の複製を見てはいたけれども布で丁寧に製本された原稿は若干の経年焼けはあるものの実に美しかった。
まず、最初の頃の実に丁寧なペン字に驚く。縦横のメリハリのある筆跡は多分、万年筆でない、いわゆる付けペンによるものだろうと思われます。さらに、夫人による原稿清書の情報もあったが、少なくとも大部分はキチンとした男性による筆跡であり、状況から考えて虫太郎本人のものに間違いなかろうという結論で、さらに興奮。表題「黒死病館殺人事件」を始めとする館名表記の揺らぎについては芦辺氏のお言葉通り、雑誌掲載までの紆余曲折を窺わせて生々しかった。しかも、驚いたことに現在の読者が「黒死館」のフレーズとして印象に残っている数多の文が、じつは、あとからの挿入であったことも驚きだった。最初の頃の端正ともいえる美しい初稿に、付け加えられていく(さらに雑誌掲載時の著者校にまで及ぶ《世田谷文学館には保管者自身と思われる方による「新青年」初出時のそれが二回目まで保存されていた》)書き込みが、本人の作品に対する思い入れの過剰さを突きつけてくるのだった。それが回を重ね終盤に近づくに従って人の筆跡に変わり、さらに鉛筆書きとなっていく様は虫太郎の完成に至る苦闘を生々しく物語っていた。
これだけでも生原稿を拝観した甲斐はあったし、校正時に疑問であった、誤記、誤解がどの段階で発生していたのか、製版時に発生したと思われていた、いくつかのミスがじつは虫太郎本人(と思われる筆跡による)のルビ指定の誤記であったのが印象的だった。勿論、急いで付け加えなくてはならないが、その誤記自体は作品の価値を貶めるものではなく、とにかく五百枚の原稿用紙にその半量以上に及ぶ加筆と修正という作業の中で、虫太郎が超人的な努力のもとで組みあげた「黒死館」という世界における、わずかな罅でしかない、注釈者によるあら探しのネタでしかない。ということなのです。
それにしても、この原稿自体のルビと書き込みの錯綜した重層的構造の迷路をほぐしつつ、植字していった活版工の人たちの名人芸にはどれだけの讃辞を送っても足りないかもしれないのです。「きっと製版時の誤植なんだよ」なんて、これからは軽々と使いません。だって、この職人さんの鉛まみれの真っ黒なシミだらけの手の業によって、今現在「黒死館殺人事件」という不壊不滅のテキストを私たちが享受できているのだから。
うーん、なんだかな結論になってしまったが、こんなもんでいかがでしょうか、芦辺さん。

それから、お見せしている画像は雑誌「EQ」掲載の穂積和夫氏の「黒死館」イラストです。これについても思い出はありますが、また今度。