探偵小説年鑑1948


松山さんのお手伝いを始めた頃、虫太郎の娘さんと会える機会ができたと告げられました。別世界のことのように思っていたので、それほど感激もせずにその機会にご一緒することになったのです。いつもいっている通り、虫太郎に関して、伝記的な問題にはあまり興味がありませんでしたし。
差し向けられた車に松山さんご夫妻と同乗して、調布の会場に到着いたしました。会自体は、ゲストの娘さんが、マイクにあがってしまって成功とは言いかねましたが、それが、古沢仁先生とお会いするきっかけでした。先生のおっしゃるには、この会は乱歩存命の時に行われていた「土曜会」を引き継いだものだということでした。その時は勿論、それがどれだけ凄いことなのかわかりもしませんでしたが。
その後、松山さんの後についたり、自分一人でも月一回のその席にお邪魔するようになりました。いつも同席されていたのは、松村喜雄さん、阿部主計さん、佐々木孝丸さん、宇野利泰さんなどでした。それに入れ替わりで、梶龍雄さん、長田順行さん、加納一朗さん、實吉達郎さん、氷川瀧さん、比較的年齢の高い出席者の中で、年少者の自分は古沢先生をはじめとして皆様にかわいがって頂けるようになって、談論風発、回顧談をはじめ、当時のミステリに関してたくさんの示唆を頂いたと思います。松村さんが「三毛猫ホームズ」を激賞なさったのが、デビュー間もない赤川次郎に手を出したきっかけだったりします。宇野利泰さんの目前で「ローズマリーの赤ちゃん」の誤訳の指摘を蕩々としていたのを最近思い出して、今更冷や汗だったりします。ワイルドの長谷川修二訳「W.H.氏の肖像」を、長田順行氏の市ヶ谷のオフィスへお持ちしたことなどもありました。
書庫の整理をなさる古沢先生から、虫太郎関連で、戦前のヴァン・ダインやフリーマンの訳本、そしてこれを頂いたのです。「探偵小説四十年」などにも、若手の“鬼”として名前のでてくる先生としては、ご自分の作業を若い世代に引き継ぎたかったのだと、今になってみると思います。ただ、素天堂の性癖で、結局今頃になって先生の御蔵書が生きてきたのは、まことに忸怩たるものがあります。
古沢先生のまとまったお仕事として、資料性もたかい「邦譯歐米探偵小説目録」の載ったこの本は、一度手放したものの、やっぱり古沢先生に対して失礼だったと反省して、古書目録に載ったこの本を出入りの古本屋さんに無理を言って入手したものです。戦後すぐにでた貴重なドキュメントでもありますが、開いて驚いたのはこの本が、古沢先生のサイン本だったのでした。しかも、贈呈先はご覧の通り、であります。

何とも、奇妙なご縁かとも思いました。
今回の同人誌作業も、「グリーン家の惨劇」をはじめとする先生から頂いた貴重なものがあったからこそできる仕事だと思って、ここに、思い出を書きました。本当にささやかなご恩返しのつもりなのです。勿論素天堂のことですから、酒に絡んだ噴飯もののエピソードもたくさん覚えてはいるのですが、今回はとりあえず、このくらいにしておきましょう。