琥珀色の珊瑚

いつからか、自分のなかで、固定観念といおうか、もっと激しく、固着といってもいいくらいの独りよがりが形成されてきていた。数十年に渉って造りあげられてきた蓄積が、じつはただの堆積でしかないのに気づかされる。松ヤニもこごれば琥珀になるかも知れない。サンゴ虫は死んでも、紅い珊瑚になれる。ただの石灰では、積もっても、石筍がいいところだろう。折角の作業も、自分一人で判ったつもりになっていたのでは、人知れず、奥深い地下に掘られた鍾乳洞で湿けて、膨らむばかり。掘り出されなければ、埃で薄汚れて壁に塗ることもできまい。
扉を開け、風を入れる。波を起こしてそこに溜まった砂をながす。そんな作業が、自分自身で必要になろうとは、思いもしなかった。せいぜい表皮にたった柔毛を、撫でさするような刺激で、自分は十分だと思い込んでいた。琥珀にも、珊瑚にも、もうなれるはずもないが、せめてうす茶色の、濁った水晶くらいには、まだなれるかも知れないと思っている。僅かな資料のせめてもの活用を怠りさえしなければ。