今回の付録

『酷使観賞用』、もとへ『黒死館逍遙』に毎回つけている付録のはがき。いつも素天堂の勝手な思いこみが多いのですが、特に今回のブリューゲルは判りづらかったかもしれません。北方ルネサンスの巨人、〈気違いブリューゲル〉と呼ばれた画家は、当時としても稀代のリアリストで、書かれた題材こそ幻想的なものが多いのですが、そのほとんどに強烈な寓意と皮肉がこめられていました。反面〈百姓ブリューゲル〉といわれるほど、当時の農村に対して持っていた共感も捨てがたいものがあります。今回お付けした『イカロスの墜落のある風景』は、彼の最高傑作の一つではないかと思っています。なんの変哲もない海辺の農村風景、遠くに浮かぶ船、どこが〈イカロス〉なのか、どこが〈墜落〉なのか。画面の70%を占める農地では、朝から働く農民が作業にいそしんでいます。海も凪ぎ、朝日を浴びて、平和そのものの光景のどこに、テーマがあるのか。暗い水面に浮かぶように白い服のいかにも鈍重そうな男が手を伸ばしている。その前に僅かに拡がる海面の乱れとその中心に見える、二本の足。もう羽根さえも見えなくなって、もがく、これが〈イカロス〉なのでしょうか。

そう、これが知と技術の最高を極めようとした〈イカロスの飛翔〉への代償と、世間の評価、双方へのブリューゲルのメッセージなのです。飛びすぎた知性(これが素天堂の考えるファウストの方向なのですが)を卑小化し、返す刀でそれに気づかない世間の評価をあざ笑う、なんとも、きつい一発なのではないでしょうか。こちらの最後を読んで、そんなことを考えました。