千駄ヶ谷詣で 最終便 

劇場の迷子―中村雅楽探偵全集〈4〉 (創元推理文庫)
雅楽もの総集編四冊読了。『團十郎切腹事件』の入手が三月始めだったから、約半年で短篇作品が完結した。約半世紀に渉る雅楽の語りがたった半年で読めたわけである。その後の長い古本行脚の始まりと、雅楽探偵譚とのお付き合いが素天堂にとっては文字通り表裏の関係にあったのでいまさらその感慨はひとしおである。初期の「宝石」バックナンバー収集の頃、その後の『車引殺人事件』以降の既刊単行本の探索のあれこれ、六十年代後期の、いわゆる探偵小説氷河期を抜けた後のあの分厚い徳間版『グリーン車の子供』の発刊、とにかく思い出すことも多かった。テレビでの中村勘三郎の洒脱な(原作のイメージとは若干離れるものの)雅楽も楽しかった。だから、今回江川刑事の形容に山城新吾を持ち出して来たときには、思わず頬笑んでしまった。
涙ぐんだり、皮肉な結末に大笑いしたり、大忙しの一冊、すべて既読だったはずなのだが、全然記憶に残っていないのには、自分でビックリした。読んでいて、自分と比べつつ考えたのは〈老い〉についての距離感だった。書き始めた頃の壮年期と晩年の最終巻では、作者と雅楽の間にある年齢の落差の違いがあって当然なのだが、半年で全業績を振り返るという至福の時間を、この年で味わうとき、いやでもそれを感じざるを得なかった。「写真の若武者」「祖母の秘密」そして、晩年に登場する関寺真知子さんへの心情は、雅楽=作者の若さへの思いの投影だったのだろうと、今にして思うのである。関寺さんという、白無垢でボールペンを走らせる、見事なキャラクターを読んでいて、聞き書きの名手のあるかたを思い浮かべたのは自分だけだったろうか。
この三日間とこの半年、読み終わるのが惜しい日々を過ごせたのは、編者日下さんのご苦労のお陰であるけれど、その御礼とねぎらいは、心待ちにしている「第三の演出者」の刊行の後にしようと思う。