虫太郎は隠れ鉄ちゃんだったのか 

sutendo2007-11-06

大宮に開業した「鉄道博物館」の前身「交通博物館」は、神田万世橋の旧万世橋駅舎後にあった。建物から飛び出した蒸気機関車と新幹線の頭部がちょっと衝撃的な、レイアウトがなつかしい。
開館当時は東京駅高架下にあって、それが関東大震災により被災したとは公式資料に以下の通り書かれているのだが、再開までの2年間が空白のままである。
1921 年(大正10) 鉄道博物館が、東京駅北側高架線下に開館(鉄道開業50 年記念事業)
1923 年(大正12) 関東大震災のため全館被災し資料焼失
1925 年(大正14) 鉄道博物館再開
その空白を埋めるのが虫太郎のこの証言だ。

「ねえ小岩井君、君この建物をなんだか知っているかね。」
目の前には馬蹄形をした、白亜色の建物があった。そして、背後は、大宮機関庫である。
「君は知るまいが、丸の内の鉄道博物館が、此処へ引っ越して来たのだよ。」
「なに鉄道博物館!」
「そうとも、彼処にあった門標を見れば分かるよ。(中略)」
そこは、中央の広間で、天井は、円蓋ドーム形に作られている。(中略)
しかし隣室はやや明るく、窓掛の隙から、いくつも、縞形をした月光が落ちている。
そして、中央に置かれている、一台の汽缶車が見えた。
「紅殻駱駝の秘密 春秋社昭和十一年刊 沖積社復刻より 文責引用者」

赤い煉瓦とボロボロの機関車と切支丹の遺品を巡る、虫太郎初期のこの作品にこんな証言が隠されていたのである。その後の万世橋での開館までの経緯を見てみると、大宮にあった今はなき施設が登場する*。
1927 年(昭和2) 9850 形蒸気機関車を展示
1930 年(昭和5)  1号機関車(150 形・当時島原鉄道所属)の保存決定。修復の上、国鉄大宮工場参考館に一時展示。 *「大宮工場参考品陳列所」戦災で消失
1936 年(昭和11) 万世橋の新館(現在地)が開館。1号機関車や9850 形機関車を展示
実際には、虫太郎の書いた施設と、実在した参考品陳列館との関連は今のところ不明なのだが、もしや、あの白亜の建物がその存在なのではないだろうか。発表年代こそ昭和に入ってだったが、執筆が作者の記憶通り大正十四年中だったとすれば、幻の二年間の貴重な証言なのかもしれない。