発作的ウィーン回想〈拾遺編〉


そもそもの始まりは、「丸善」で見かけたイタリア語版の画集だった。Parmigianinoという絵描きさんに取りつかれて数十年。僅かな資料を細々と手元に引き寄せてきた素天堂にとっては、まことに貴重な資料にすぎず、よもやそれが、マニエリスムを代表するイタリアの画家の展覧会の図録だとは思いもしなかった。しかし自宅に持ち帰り、細部を見てみると、イタリアのパルマ、彼の街での大回顧展なのだった。
昨年このチャーミングなバルバラには、西洋美術館で開かれた『パルマ展』で再会することが出来たのだけれど。
当然、海外で行われている展覧会など、自分にとっては文字通り、遠い世界での縁もゆかりもない出来事であったはずだった。当時出入りしていた赤坂の「ですぺら」という酒場で、Tさんと隣り合わさなければきっとそれで終わっただろう。しかし今なら映画などで一般的になってきたフェルメールの熱烈な崇拝者であった彼に、焚き付けられたかたちになって、多分生誕1000年であってもこの国ではお目にかかれないであろう、異国の絵描きさんに逢うなら、今行かなければいつ行くのだ、という気分になってきてしまったのだった。
そこから、出国以前のドタバタが始まった。まず、パスポートの取得から始まり、コースの設定は紆余曲折して、旅行代理店の方々は、どれだけ素天堂のわがままに振り回されたかわからない。結局パルマでの展観はあきらめ、ウィーンでの開催に合わせることになった。
現地で出迎えがあるだけの、ほとんど一人旅、しかもウィーンに一週間居続けるという、とんでもない旅が設定されたのだった。しかも展覧会の開催に逢わせたため、ヨーロッパでの祝祭日にぶつかってしまい、航空運賃やホテル代も割高になり、旅行費用だけは、とんでもないエコノミー大名旅行となってしまったのである。
とはいえ、まともな食事は朝のホテルのヴァイキング・ビュッフェのみ、昼はアイスクリームや、サンドイッチのファスト・フードかKHMのカフェでのコーヒーと軽食。夜はスーパーで買ったバーゲンの缶ビールとライ麦パン、トマトとソーセージをホテルの自室という貧乏を絵に描いたような日々が続いた。
最後の日には、さすがにベルヴェデーレの近所のカフェテリアでビールとサラダを注文したが、シェフサラダの分量に目を剥いて、ついに追加注文は出来なかったし。だからその滞在中、ウィンナ・シュニッツェルもビア・ホールも縁がなかったことになる。『第三の男』の「カフェ・モーツァルト」だって、スタンドで、水を買うその前にあったのを、横目で見たにすぎない。しかし、たった一人でうろついた奇妙で暑い日々〈その時のウィーンは記録的な猛暑だったそうだ〉は、今でもTさんの後押しのお陰で、一生望むべくもない、至福を味わうことが出来たのだと思う。古い写真ファイルから出た、監視員から怒られながら撮った、「バルバラ」を始めとする数点の手ぶれ写真から、その時のことを生々しく思い出すのである。何でも、その当時、KHMの至宝の一つ、チェリニの塩壺が盗まれるという大事件が発生して、館内の警備が厳しくなっていたのだそうだ。勿論、あの缶ビールの安さとうまさ、キチンと熟したトマトの酸味は、スプーンの在処がわからず付け合わせのウエハースで無理矢理食べた(勿論あとで見付けた)アイスクリームとともに、やっぱり重要なウィーンでの日々の要素だった。もう、五年もたってしまったのだなあ。
そういえばおもいだした!。その時クンストフォーラムで開催されていた大がかりな「未来派展」、当日そこでは図録が買えなかったのだが、帰国後入手した画集が、偶然その展観の図録であった。