乱歩はその時、散歩のつもり。

思わぬ方向へ、前回の日記は行ってしまったが、実は書こうと思ったのはこれ『一九三四年冬 乱歩』の感想だった。集英社のPR誌『青春と読書』に連載されていた、久世光彦『乱歩は散歩』が刊行時に改題されたもので、それまで愛読していた同誌の掲載の中でも、群を抜いた好企画であった。どっちかと言えば『図書』や『波』などのPR誌が、上級読者向けだったのに対して、幅の広い読者層をターゲットにしながら、読者に迎合しない独特の編集方針が、素天堂の好みだった。そんな雑誌で始まった連載だったのだが、悪い癖で、連載時に毎回読むと言うことが出来なかった。そのうちに、欠号ができたりして、通読を諦め、単行本の刊行を待った。そのくせ結局積読のまま、初版本は手元を離れたというわけだった。文庫化されたその本がK氏の書棚にあったのを持ち出して、やっと十数年ぶりに読了したのである。
乱歩もののパスティーシュとして、軽い読み物のつもりで手にとったのだが、なんと、この作品、二重、三重の罠が仕組まれた、途轍もなく重量感のある作品であった。書きかけの作品への自己嫌悪から、爾来の放浪癖を併発し、少し前に偶然見付けた、外人向けのホテルに乱歩が止宿するところから物語は始まる。麻布の裏町にひっそりと佇む、美しい中国人の青年がただ一人の従業員として働く「張ホテル」。静かなたたずまいと異国風のその宿は乱歩に、沈んでいた執筆欲をかき立てた。そこで乱歩によって書かれた話中話は、『孤島の鬼』の重要なエピソードだし、奇妙な私娼窟へのアプローチは谷崎の『秘密』を思わせる。それらの素材を、存分に咀嚼して、紡ぎ出し、究極の官能美とヘリオトロープの芳香の立ち上る、美しく織り上げられた『梔子姫くちなしひめ』の世界へ、我々を誘ってくれる。
投宿した「張ホテル」で繰り広げられる、奇妙でユーモラスなエピソードから浮かんでくるのは、二十代でデビューし、未成熟な「探偵文壇」を率いなければならなかった、実作家としての過去と業績、読者としての見識と、夢みる人としての自省との間で繰り返された軋轢から逃れようとした乱歩の姿だ。四十才で股間白毛に気づき、浴室で立ちつくす乱歩は、この小説で描かれる追いつめられた彼自身の実像に違いない。しかし、このホテルに登場する他の人物、中国人の従業員〈翁華栄〉や同宿者の外人女性〈メイベル・リー〉は、どちらも乱歩自身の理想像として、ホテル滞在中の乱歩を補完してゆく。猫の三所攻め!などのドタバタや、推理合戦に代表されるシリアスなエピソードの中で、作中作、悲しくエロチックな『梔子姫』へと昇華していく。乱歩は、そこで彼自身の〈ミステリの神〉に出会ってしまったのである。
最初の作者の構想がどうであれ、随所に繰り広げられる、乱歩自身の回顧にこと寄せた文体論や作品論、谷崎や広津柳浪宇野浩二などを巡る文学論、広汎な芸術論が散りばめられることになる。耽美の人、久世が描こうとした、この「張ホテル」での短い日々は、散歩どころか乱歩にとっての長い夢として結実してゆく。夢は覚めなければならない。まことの世界はいつも内側にある。彼は書き上げた『梔子姫』を筐底に秘め、一九三四年冬、乱歩は、彼の次の現実世界へと旅立つのである。彼の〈少年ものの世界〉や、精緻な〈探偵小説評論〉への情熱は、ここから始まっていく。