素天堂式書肆交際法

本が好きなら、誰でもそうだと思うが、本屋さんと付きあわなければならない。嫌でもできてしまうのが、行きつけの本屋さんだろう。偉そうな標題だが、それに尽きる。中学時代の南武線溝ノ口駅前マーケットにあった「文教堂」の暗い店内での毎月の『SFマガジン』、『ヒッチコックマガジン』から始まって、最後の一人暮らしだった中央区での「新川ブックショップ」での光文社版『乱歩全集』まで、あちこちにその足跡を残してきたけれど、何より長くて重要だったのは、大田区の「伊藤書房」と銀座五丁目の「改造社書店」だった。廃業してしまった「伊藤」さんとは今でも、商売を離れてつきあいを残している位である。何しろ雑誌「南北」バックナンバー一挙注文以来の縁なのである。それ以来『血と薔薇』の創刊を目撃し、薔薇十字社の絢爛たる書物群、「国書刊行会」の『幻想文学大系』以来の一連の仕事を手にすることができたのも、何より四期に渡る厖大な『手塚治虫全集』のコンプリートは、伊藤さんの努力の賜物だった。長期に渉って漁り続けた、素天堂にとって当時重要な刊行物のほとんどの蔵書は、商売抜きで引き受けてくれた伊藤さんの存在なしには考えられないくらいだったのだ。
前にも書いたけれども、塚本邦雄の処女評論集『夕暮の諧調』などは、その場で京都の「人文書院」まで。高かった当時の市外通話を物ともせずに問い合わせてくれた物だった。残念ながらその本は既に配本済み版元在庫切れで注文はできなかったのだが、だからこそ、その印象は忘れられない。今のようにネットでの情報もなく、書店からの購入自体も制約の多かったころだったから、予約注文ができて確実に入手できる本屋さんは、必須の存在だった。そしてもう一つ重要だったのが岩波『図書』、新潮社『波』を初めとする各出版社のPR誌であった。「伊藤書房」の店頭に揃えられた各誌を眺めながら談笑し、開いた雑誌の柱広告から、その日の注文本を見つけるのが、ほぼ毎日の日課だった、あの頃を思い出すのである。
また「銀座改造社」は、チェーンの中では小さい店だったが、わがままな店頭在庫が面白い、店長の個性が出たいい本屋さんだった。「伊藤書店」なきあと引き続き『手塚全集」を揃えてくれたのがそのお店だった。残念ながら、当時の関係者はもういなくなってしまったが、『渋澤全集』の内容見本注文事件は忘れられない思い出だし、最後まで買っていた少女漫画誌『ヤング・ユー』をレジに持っていった時に店長がつぶやいた「『おいしい関係』おもしろいですよね」のひとことは忘れられない。当時の職場のあった銀座という土地柄、洋書の「イエナ」、「近藤書店」、数寄屋橋の「旭屋書店」、「教文館」など、ほとんど毎日二,三回本屋の梯子をしまくっていた時代もあったのだ。それらの名店と肩を並べて個性を光らせていた本屋さんだった。何しろ「ペヨトル工房」の雑誌、単行本のほとんどが並んでいたのだから。
メールで機械的に届く「アマゾン」の受注確認を見るにつけ、本は現物を見てからでなければ買うもんじゃないと豪語していた自分はどこに行ってしまったのだろう。何でもそろう大型店舗を悪いとは言わないけれど、居ながらにして本を探せる通販システムだって重宝しているけれど、流通の問題から地元の個人書店がほとんど姿を消し、あんな事の出来た幸福な時代を、今になって懐かしく思いながら、それらの本屋さんを消していってしまった責任の一端は、自分にもあるかも知れないと思うのである。