揉紙にくるまれた恠異帖のはなし

いかな素天堂とは云え、日夏を語るのに『サバト恠異帖』を、持ってくるのは如何なものかと思う。とはいえ、詩集といえば、新潮文庫河出文庫でしか持ってなかったし、角川文庫版の日夏訳『サロメ』(七〇年代の後半、五〇円でも格安だった)を買ったために電車賃がなくなって、二駅歩いたこともあった素天堂のような貧乏人にとっては、詩の原本などは夢のまた夢にすぎなかった。そんな素天堂が、たった一冊自慢できたのがこれであった。勿論、いま手元にあるのは国書刊行会〈クラテール叢書〉版と〈サバト恠異帖 (ちくま学芸文庫)〉版にすぎない。例によって〈死児の齢〉話なのである。
その本を見付けたのは、高校を卒業してすぐに働いた、宅配本屋の配達区域のお陰だった。お世辞にも名著とは言えない本の配達を業としながら、行く先々の古書店に入り浸る日が続いていた。あの大森の〈山王書房〉も、その頃の馴染みの店の一つなのであった。
そんなある日、川崎市の中央部、小杉のあたりを徘徊していた素天堂は、高校時代から何度か覗いたことのある、小さなお店に入った。まだ地上を走っていた東急東横線の小さな駅の前にあったそのお店〈甘露書房〉では、当時やっと名前を知った「足穂」の本や、詩歌の本がいつも書架を飾っていたものだった。書肆ユリイカ版の『足穂全集』は一体いくらだったのか、親爺さんの「あんたの買える値段の本じゃないよ」の一言は厳しかったが、手にとって見せてもらうことは出来た。お店の棚には、当時素天堂の知るわけもない名著が渦巻いていたのだろうが、「山王書房」と同じく、自分の欲しい本が比較的安く買うことの出来る素敵な本さんの一つだったのである。そういえば加藤郁乎の現代思潮社(後に不思議な縁でこの出版社と知り合うことになるのだが)版『眺望論』を買えたのもこのお店だった。
その本は詩歌とはちょっとはずれた棚にあった。ほとんどの本の背は平滑なのに、その本だけが奇妙に歪んで見えたので思わず手にとってみたのが早川書房版『サバト恠異帖』なのだった。大判の和紙を揉み、黒に近い藍で染められたその表紙には、濃い朱で箔押しされた筆字の標題が記されていた。高校時代から文庫で読んでいた詩人の原本との、初めての出会いであった。当時でも格安に見えたその値段に驚愕してひったくるようにして持ち帰ったその本は、随分長い間、貧困読書家素天堂にとっては、ほとんど唯一の宝であった。表紙のでこぼこも、見返しの和紙も、本文のざらつきも、あの本は、文字通り手が覚えている数少ない本の一冊なのである。
一九四八年、終戦後の混乱をものともしない反時代の権化、オカルティズム研究を中心とした内容に関してなら、上記二冊の再刊本の、委曲を尽くした井村君江須永朝彦両氏の解説、解題で充分すぎよう。何を素天堂が屋上屋を重ねる愚を必要とするはずがあろうか。
それにしても、あの美しい装丁の書影さえ掲げられないのが残念だ。