天気将軍?

先日、縁あって徳川夢声の『随筆 天鬼将軍』双雅房1940 を入手。間髪を入れずに読了した。夢声といえば、明治、大正、昭和に渉るショー・ビジネスの証言である『夢声自伝』や、詳細な『夢声戦争日記』が代表作かと思う。勿論『週刊朝日』誌上での、対談集『問答有用』の業績も忘れられない。小説でいえば、ユーモア・ミステリ『オベタイ・ブルブル事件』は、戦前の探偵小説アンソロジーには欠かせない逸品である。エッセイストとしては、初期の活動弁士としての業績を語った『くらがり二十年』、弁士廃業後の芸能活動を語った『あかるみ二十年』が、のちの『夢声自伝』の基礎ともなった軽妙な人気エッセイであるが、この『随筆 天鬼将軍』は、落ち穂拾いには違いないが、その間隙を埋める知られざるミッシング・リンクだった。
標題の『天鬼将軍』は、夢声流の語呂合わせのユーモア小説かと思った(だから買った)のだが、実在した満州馬賊の大物、薄益三〈うすきますぞう〉との最晩年での交友録なのである。中国東北部で「天鬼将軍」と呼ばれて恐れられた人物の好々爺然としたプロフィールも魅力だが、そこで語られる天鬼将軍の新居、浪曲師〈鼈甲齋虎丸〉の旧宅の物凄いこと。夢声自身も形容する〈正気の人が設計した超「二笑亭」〉なのである。その表紙を飾るひげ面の虎こそ、竹の間に居座る容貌魁偉の天鬼将軍最晩年の似姿なのだろう。
巻頭の好エッセイに始まり、以下発表順に、戦後のエッセイ集『いろは交友録』にも再録された「百鬼園先生」に終わるこの随筆集は、確かに戦前の主な業績である『くらやみ』『あかるみ』収録のものとテーマの重複や流れにはずれることもあって未収録だったものだろうが、決して、それらを下回る出来ではない。特に巻中の四〇頁以上を占める「俳優修行譚」「色みゝがね」「新劇一年生」などは、弁士廃業後の「笑の王国」結成から、「文学座」初期にいたる貴重な証言なのだ。
徳川夢声没後四〇年近く、未だその名が忘れられていないのは驚異といっていい。文六、百鬼園ととともに素天堂の読書遍歴の中で、手に入る限り読み続けてきた重要な位置を占める存在でもあるのだが、最近は文筆活動、特にナンセンス小説での業績は忘れられつつあるのが残念だ。