衝撃! あの本がネットで

そりゃあ、あの本も、この本もインターネット上で参照出来る今、驚く理由さえないかも知れない。何しろ、「聖典」自体が青空文庫にアップされているのだから。
『Dictionnaire raisonne de l’architecture francaise du XIe au XVIe siecle』。

西洋建築史を繙こうとする人士であれば、例えば、降矢木算哲でさえも、当然読まれたであろう名著である。何しろ挿絵が多いのも素天堂向けであるが。
ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク(Eugene Emmanuel Viollet-le-Duc 1814-1879年)という人は、過去を解析することで、近代建築構造への道を開いた人物で、その修復に対する思考法については、それ故に、当時のロマンティックな回顧主義者からは疎まれたが、そのいくつかの業績は、現代ではその修復も含めて世界遺産に登録されている。
ゴシック建築に対するフランス人の思い入れは特別なものがあるようで、ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』を嚆矢として、ロダンの『フランスの聖堂』、ユイスマンスのシャルトルの大聖堂を題材にした『大伽藍』などのモノマニアックなものまで、多分題材にした作品は、汗でムッとする牛小屋の牛程もあろう。イギリスの趣味人の好尚に端を発したゴシック・リヴァイバルが、欧州の自意識を鼓舞するロマン派的な表現だったとすれば、ヴィオレ・ル・デュクはそこからさらにフランス的な合理主義を解析したものだった。革命の大渦によって破壊され忘却されたパリを代表する大聖堂と、カジモドに表された新しいフランスの苦悩が『ノートルダム・ド・パリ』におけるユゴーの意図だとすれば、ヴィオレ・ル・デュクによるその聖堂の修復は、新しいフランスからの答案だったのではないか。
戦時中の翼賛企画であった奇妙な美術書『獨逸精神の造形的的表現』1942アトリエ社 なる書籍に於いても、ドイツを表現する建築として、イタリア起源の〈バロック建築〉を取り上げざるを得なかったのは、そんなフランスでの国粋的盛り上がりを横目でみて、ゴシック建築をドイツ独特の様式というわけにはいかなかったのだろう。
あだし事はさておき、未だ邦訳の登場しない(だから書名も日本語訳が定着していない)この大著が、すべての絵入りでデータ化されているのは、これから欧州中世建築を眺めようとするのに、どれだけ素晴らしいことか、取りあえずご覧頂きたい。