「帝王死す」

赤塚不二夫が死んだ。〈逝った〉でも〈みまかった〉でも似合わない。TVモニター上で、ギャグコメントを撒き散らすだけの晩年であったにしても、例の思い上がりにすぎない〈萬画〉の先生よりましな晩年であった。他にも、ゴルフ三昧を自慢する人もいたが、名前を挙げて非難する気にもなれない。
赤塚の死で、自分の思いは一挙に半世紀後退した。自分にとってのギャグの黄金時代、少女マンガの黄金時代は五十年代末から六十年代初頭にあった。『テレビ小僧』『ナマちゃん』『龍神沼』『ひみつのアッコちゃん』(わざと順不同)。
後に、少女マンガ草創期、ギャグマンガ草創期に彼等新進漫画家達が磨き上げた、それらの珠玉を拾い上げ、名漫画叢書となった「虫コミックス」「サンコミックス」も今はない。それらの幻影を追い続け、七十年代に素天堂はやっと萩尾望都『小鳥の巣』に出会えた。それからの「二十四年組」隆盛、成長は言うまでもなかろう。
さらにジャズ、芸能を巻き込んだギャグイヴェント「ハナモゲラ」や「冷やし中華連盟」、最大の功績「タモリの発見」に至る、日本ギャグ史の裏? いや真っ正面に彼は、いつもいた。生温い昨今のギャグともいえないお笑いの、ギャグの連発を見るにつけ、「バカ田大学総長」にして、ギャグマンガの帝王の大いなる死を悼みつつ、今に至るも姿を現さない、米澤嘉博の名著『戦後ギャグ漫画史』の復刊を待ち望む、今日この頃である。