想い出を引き出すMedium

今更だが、東雅夫さんの近著『怪談文芸ハンドブック』を読むことができた。既にこの本の評価はネット上でも数々あげられており、素天堂の如きが屋上屋を過重ねる愚を犯す必要もないはずだが、どうしても書いておきたいことがある。というのは、この本には素敵な副題がつけられていて、広範な内容をコンパクトにまとめた「ハンドブック」の、わかりやすい読み方ガイドになっている。
まず怪談の〈正しい〉読み方が伝授され、〈正しく〉読むことで、〈愉しく〉怪談の創造に加わることができ、まだもっと読みたくなる果てに待つのは、本文中には、老獪なことに一言も書かれていない、蒐める〈苦しさ〉なのである。
今まで書かれた「怪談とは」という問いにはいつでも「怪談なのだ」というトートロジーめいた解答しか与えられてこなかった。ジャンルは何となくあるけれど、定義の難しい言葉を、数多くの例証をあげて具体化した第一部は、連綿と続いた怪談創作の歴史を辿りながら、いわば、怪談の内側から定義した最初の業績だろう。
そうして、第二部に入る。軽やかに積み上げられた、神話、聖書のエピソードから岡本綺堂まで、読者に限られたスペースを忘れさせる過不足ない広範な引用(これがどれ程重要で、なおかつ不可能に近いか)と、的確な分析で、怪談(幻想)の表現の豊かな鉱脈が惜しげもなく繰り広げられる。読み進むうちに、大部分の読者には初見に近い作品の多くは、著者自身が一編一編探しだし、我々の手元に差し出してくれたものだったことに気づかれるだろう。著者のいう〈愉しい書き方〉の手法は、底知れぬ暗黒の裡に沈んだ過去から、僅かな情報と微かな灯りの下で見つけだした作品群によって編み出された、普遍的ではあっても彼独自の理論なのである。
幸いにして、今、東さんをはじめとする〈幻想・怪談〉好きの方達の尽力によって、過去の作品が手に入れやすくはなっているけれど、浮き上がってくるのは上澄みのきれいなところだ。もっと深い澱みが味わいたい、創り上げたいと思ったらやっぱり自分の手で、まず、蒐めるところから始めなければならないだろう。さあ、地獄の釜の蓋は、開かれている。若き同志よ我傍らによれ!とほくそ笑む東さんの面影が目に浮かぶ。
ここで告げられた綺堂、乱歩、呈一、紀田におよぶ海外作品の紹介の歴史と、同じく綺堂から都筑道夫に至る近代怪談の創作の歴史を目の当たりにする時、素天堂は遙かな昔に戻ってしまう。
焼け残りの陸軍の兵舎を流用した、古ぼけた校舎の一棟の二階、そこだけが南北通しの広い部屋が中学校の図書室だった。今思えばよく集めたものだと思うが、そこにあった赤い装幀の『世界大ロマン全集』が、今の読書生活を造り上げ、後の澁澤体験乃至は、幻想文学好きの下地を用意していたのだと思う。そこからここまで惰弱な読み手として過ぎた過去を、思わず振り返ってしまった夏の午後である。書き手のために書かれたには相違ないかもしれないけれど、この本を手にして思うのは、「ハンドブック」と名付けられたこの書はただのHow to本ではない。長く怪談入門者のための手引きとならねばならない。『東雅夫の怪談入門』となって文庫化の際には、やっぱり某文庫からあの黄色い本の仲間入りをしていただきたいものだ。