自分の本棚を公開する 理想の書店像

年末開催に変更された、去年の松屋古書展にいった後、K氏が覗いてみたいといったので、丸の内オアゾまで足を延ばした。セイゴオ・ファンであるK氏は彼と丸善が共同企画した「松丸本舗」が見たかったそうである。
よくある企画展を想像した自分は、ついていっただけのつもりだったが、入り口の松本清張邸の本棚の再現に肝をつぶした。見せるだけならどこの回顧展でもやっている蔵書の公開だが、ここでは全て(ごく一部の個人蔵書を除いて)が販売されているのだ。つまり利用者は、公開された個人の蔵書を、一部ではあっても共有することが出来るのである。
ちょっと驚きつつ会場を巡ると、どう見ても、乱雑にしか見えない配列の中に、不思議な規則性?が見えてくるのだ。勿論、実際の書棚とは違って各所に棚の意味を示す掲示もあるし、あくまでも、ここは書店の棚なのだが、歩き回っているうちに、妙な錯覚を覚えるようになってくる。自分が見て廻っているのは、書店の中ではなく、セイゴオ氏の頭の中なのではないか、という錯覚を。
どんなに整然としているようでも、個人の思考というのは、前後左右、上下に渉って錯綜しているものだ。人にはうかがい知ることの出来ない奇妙なリンクで、あれとこれが結びついているものだ。多分それを見せるというのは、非常に勇気のいることだと思うのだが、実はセイゴオ氏は既にその思考を、ブログ、さらに書籍として公開している。素がたまに書く感想の時に、やっぱり裏付け確認が必要だから、ネットでチェックは必ずしているのだが、当然、松岡正剛の『千夜千冊』に突き当たることが多い。そういう実績が、こんな破天荒な企画を実現させる原動力になっているのだろう。
ちなみに当日、素天堂が購入したのは、矢代幸雄水墨画』。岩波新書の一冊である。多分、千円を超す古書価の岩波新書の購入は初めてだったが、たまには、あるだけで凄い本に敬意を払って、内心の動揺を隠して、ニコヤカに財布を開いたのである。
棚のならびのいい本屋さんという話題が、本好きの中では時々ある。多分この形態は理想の本屋に近いものなのかもしれない。勿論、それは、棚の持ち主の思考に同調できるという前提は必要だが。