Nさんの掌の中で遊ぶ

早稲田大学演劇博物館、ほぼ、二十年ぶりの再訪である。
第4回河鍋暁斎シンポジウム「河竹黙阿弥河鍋暁斎」以来のことだ。

その頃まで、「鹿鳴館暁斎筆(がす資料館蔵、現「河竹黙阿弥作『漂流奇譚西洋劇』パリス劇場表掛りの場)と仮称されていた西洋建築が、実はパリオペラ座をモデルにしていたのが明らかにされた時のことであった。
以後、気にはなるが足が遠のいたままであったが、またもや、某Nさんの御後塵を拝しての外出である。今回は「現実から想像へ チェコ舞台衣裳デッサン画展」。アーチストとして知っているのは、『R.U.R』や『山椒魚戦争』『長い長いお医者さんの話』最近では『ダーシェンカ』の作家カレル・チャペックの兄ヨゼフ・チャペックとロシア世紀末の画家イワン・ビリービンくらいなのだが、Nさんの熱烈な感想に惹かれて朝から出掛けてみた。こぢんまりとした一室での展示ではあっても、確かに珠玉の作品揃いである。プラハ国立博物館所蔵品の中でも、多分選りすぐりの展示だと思うが、大戦間の僅かな平穏の中で独自の文化を築き上げていたチェコの表情が如実に現れている。
一時はハプスブルグ帝国の首都であったプラハを擁しながら、隣接する大国に虐げられ続けた彼の国の歴史は、非常に複雑な発展を見せた。抑圧されたチェコ語を使える、コペツキイ一座に代表されるマリオネットの主人公カシュパレクや、愚直な『兵士シュペイク』によって現されてきた、いわば面従腹背で大国支配に対抗してきたチェコの市民たちの心情は、カレルの劇作などに託されてきたのだろう。その屈折した批評性はいち早く日本でも取り上げられ、当時の築地小劇場でもほとんどが上演されたほどである。

とはいえ、老帝国なら許されたその程度の批評も、先鋭なイデオロギーの象徴であった、ナチス・ドイツや共産ロシアの前では決して許されることなく、ビリービンはパリへ亡命し、ヨゼフ・チャペックはチェコに侵入したナチスによって捕らえられ、六年間の収容所生活の果て、終戦直前の1945年四月、収容所内で死亡した。
カレルに対しても侵入と同時に、ゲシュタポにより逮捕の手が向けられたが、侵入の一年前に、彼は病死していたという
洒脱といえばいえるカレル・チャペック、一世一代のギャグではないだろうか。
ここまで書いて、もう一人のナチスの天敵エーリヒ・ケストナー『一杯の珈琲から(小さな国境往来)』の、ケストナー、トリアーたちのエピソードで終わろうと思ったら、なんとNさんはこっちの方でもとっくの昔にを越していた。
結局、この件では徹頭徹尾Nさんの掌の中だった訳だ。七日以上に渉る大作である。是非、こちらからNさんのブログを覗いて欲しい。作家と画家の大戦を超えた友情の素晴らしさを味わって頂きたい。