Kokushikan Open Canpus


通勤の車内で見かける大学の告知広告。
この車額を見てドキッとするのは、日本中で素天堂唯一人だと思う。東京近県ではみなさんご存じの、世田谷にある学校なのだが、素天堂が現在の作業を始めて以来、いつも目の前のモニターに現れるのがこの校名だった。オープン・キャンパスとは、どうやら、入学志望者に学校を公開して見学させるシステムらしい。
やっと今回の新刊が入稿できて、周りを見る余裕が出来てこの綴りを見つけた。そういえば素天堂には、今日までキャンパスでの経験はなかった。特にその必要もなかったのかもしれないが、今になって考えてみると、自分は、「黒死館」という小さな小さな単科大学に入学してここまで来たのかもしれない。ゆっくりと自分勝手に、やりたいことだけをやらせてもらえる学校だった。休みたければ、何年でも休学できるし、やめたければ退学でも自由だった。やめないでこられたのは、その自由さにあった。好きな分野なら深入りするし、興味がなければさわりもしない。足りない資料のせいで纏まりもしないし、終わることもないと思っていた。いわば、指導教師のないゼミ活動のようなものだったのかもしれない。自分の中に蓄積が出来るだけの、永遠に片づかない宿題だった。
そんなKokushikan単科大学に、数年前から鬼教官が現れたのである。遊んでいるんだからいいじゃないかといえば、遊びだからこそ、結果を出すのが面白いし、人に見せてわかって貰うことこそ面白いということを賢された。
この数年、長い間の宿題を片づけながら、素天堂は初めて、作ることの厳しさと楽しさを、毎号の作業を通して身にしみて実感させられた。鬼といい教官といっても、実際には落第生の生徒の内面を把握し、体内に沈み込んでいた澱のような知識の混沌を形にさせ、協同作業で五年をかけて、一冊のテキストから十号を越えるサブテキストを作り出させてくれた。そんなオープンキャンパス活動での副産物が、先日贈られてきた。

いわば、入学試験だった「黒死館論」を応募した『幻影城』の編集長、島崎博さんが中国語の著作を贈って下さったのだ。権田さんの会での再会でお渡しした『黒死館逍遙』のバックナンバーを見ていただいた証拠に、宛先に書かれた名義は〈素天堂〉だった。『幻影城』では落第生だったが、三十年を越えてやっと、宿題を受け取っていただけたのだと思う。この副産物もいってみれば、鬼教官氏のお陰なのである。