真夜中の『麗猫伝説』

一ヶ月あまりの大格闘。と言っても、実際は自分の中の混沌と錯雑を自分で処理できずに、K氏の必死の舵取りでやっと漕ぎつけた新刊の送稿だった。やっとすんだ開放感から夜更かし。
露西亜アヴァンギャルド映画の上映会からK氏が持ち帰った「化け猫映画上映会」のチラシの話題が盛り上がって、大林宣彦のテレビ・ドラマ『麗猫伝説』のヴィデオを見ることになった。
怪談、化け猫映画といえば、田舎の夏を思い出す。仕立て下ろしの浴衣と、その日だけは許された夜の外出。近所の子供達といく、街の映画館「電気館」での、お盆の怪談特集だ。家の中の楽しみと言えば、茶色い木箱のラジオくらいしかない時代、「ボッボッ僕らは少年探偵団」や「けーんを取っては日本一の、ゆーめは大きい少年剣士」のテーマで始まる『赤胴鈴之介』が毎日の楽しみだった頃に、映画は最大の娯楽。どんな番組でも、開演間際に入ったら立ち見が当たり前の時代だった。
怖いもの見たさでも、一人で見る勇気はないから、その時だけが怪談映画を見られる機会だった。大仰な芝居と外連たっぷりの演出は、映画に、表現とか世界とか、思想なんて云うものはズーッと奥底の小さなところにしかなかった時代の、映画の観客が求めるものだった。古き良きとはいわないけれど、それで良かったのだ。そんな時代の空気が、この作品には籠められている。
美しき化け猫女優〈龍造寺暁子〉の突然の引退の謎と、三十年の月日にも拘わらず、美しさを保つ謎、そんな大時代なテーマを、表現とか世界とかが映画に求められるこの時代に描こうとすれば、演出は誇張と戯画化にならざるを得ない。伝説の女優をもう一度、銀幕に戻そうと立ち回る製作陣の悪騒ぎと、女優自身が犯した過失の果ての、妄執が引き起こす幻想は周りを巻き込んで、起伏の激しい物語がつくられていく。臆面もなく過去に入れ込む登場人物は、大林の過去への礼賛の現れだから、思う存分外連たっぷりの芝居を繰り広げる。そんな要素がある意味、見る人を選ぶ作品なのかも知れないが、素天堂としては、この『麗猫伝説』を、彼の隠れた最高傑作だと思っている。入稿を終えて、ゆっくりくつろいで、花火や海水浴とは違う、もう一つの夏の風物に乗ってみた。TV放映された火曜サスペンス劇場ではもう一本、『からくり人形の女』という凄い作品があるが、それについてはまた今度。