吊り橋では身を乗り出さない / SL旅行記(続)


満腹のまま、星を覗いてよい子は早寝だったから、朝も早々に目が覚めた。食事の時間には早いし寝床で、持ってきた青柳いずみこさんの『音楽と文学の対位法』を開く。先日奥泉の新刊『シューマンの指』を読んだばかりだったから、音楽と文学に対する青柳さんの真摯でいながら、洒落た文体が快かったし、音楽には不案内な自分に採っては素敵なガイドでもあった。朝食の時間になると我慢ならずに又、呼ばれる前に大広間へ。朝食も充分すぎるくらいの量と質を堪能して、本番へと向かう。
  
行き先は上流の大間川にかかる「夢の吊橋」である。ヒッチコックの『めまい』の主人公ほどひどくはないが、若干高所恐怖症気味の素天堂にとっては、いわばありがた迷惑な設定だが、強力なツアーガイドのお薦めでもあり、むげに断るわけにもいかない。大間ダムの従業員詰め所を抜け、それ自体危険な急坂通路を下りきると、思ったより新しく手摺もキチンとしているので何となく不安を拭われて渡ってみることにした。
 
いざ対岸に着いてみると、往路の階段などは問題にならない急で不規則な段差の昇り道が続く。厳しいけれど道端の植物相が興味深くその苦労を薄めてくれる。要所要所に簡易な休憩施設もあって、その全てを使いつくして本道に出る。
 
対岸から見えた展望台に向かうと、管理人さんが話しかけてくれ、撮り続けている寸又峡の風景を見せてくれる。その言によるとやっぱり紅葉の状態は異常ということだった。管理人さんと別れ下り道をいく。自動車道が整備されているから、先ほどの行程と比べまるで雲の絨毯のように快適である。
寸又峡の集落に戻り、早めの昼食に昨日から目をつけていた紅竹食堂に入る。素は定食、鹿肉の刺身、K氏は汁そば。店を出て、腹ごなしのつもりでコースを選んだのが、その日最大の災厄の始まりだった。少々眉唾な「天狗の落ちない大石」の案内板につられて昇り始めたのだが、登っても登っても不規則な階段ともいえない足下の悪い段差が延々と続く。これがハイキングコースなら、高尾山なら東名高速だろうというくらい、道悪の上り坂だった。
「天狗の大石」を過ぎ、外森山の頂上を極めたと思ったら、下りは九十九折りのやっぱり段差ばかり、修験者の通り道は都会っ子のK氏にとってはよほど応えたようだが、首都圏とはいえ、半世紀も前の溝の口に育った素にとっては山道は、昔取った杵柄でもあり、帰って元気なくらいだったが、さすがに体力の消耗は激しく、集落のバス停留場に着いた時は口もきけなかった。
 
ロッコ電車の車室で、一息をつき、集落の中程にある古民家カフェ「山口屋」でくつろぐ。お薄のような珈琲も今日は美味しい。人心地がついたがまだ今日の目標である「カジカ沢」探索が残っている。朝いった道を少し引き返し、意図不明のもみじ公園を抜ける。『カジカ沢』という名前からあの落語を思い出した素の希望でいくのだが公園を抜けた途端に、それまでの整備された川が突然秘境に変わり、鬱蒼とした古木の茂る急勾配の深い沢が現れる。
 
見事な変化に見とれてこれこそ落語の舞台かと思ったのだが、やっぱり落語の舞台は山梨県の身延近辺だった。1時間程度と書かれたコースの案内だが、夕闇がそこまで迫り、先ほどの経験に恐れおののき、中途で引き返すことにした。日の落ちかけたあそこですれ違った二人連れは、あのあとどういう状況になっていったのであろうか。少し早めに甚平に戻り、温泉を浴び、くつろいで二日目の晩飯となった。大広間は休前日で二十組を超す盛況。二日目はイノシシ肉の朴葉味噌焼き、カサゴの唐揚げを中心にまたもや、超豪華なメニューになっていた。
銚子二本で腹を整え、又、読書。今日は残念ながら薄曇りで星も見えないまま就寝。
最終日は特にスケジュールもないそうで、ゆっくりチェックアウト。バス待ちの間の散策と土産物物色ですごす。さすがに土曜日ということで車が多く、交通整理が諸処で行われていたが時間通りに千頭の駅前到着。帰りは特にSLではなかったが、ボックス席が懐かしい電車だった。
 
余りスムースに来たため、帰りに予約していた「ぷらっとこだま」までの時間、金谷で時間つぶしをすることになった。前日見た「東海道旧道石畳」の表示を鵜呑みに歩き始めたが一向にそれらしいものは現れず、不安になりかけた頃、現れたそれはなんと東海道一の難所だったそうで、とにかく急坂とゴロタ石が延々と数百メートル続く。知らずに歩き始めたものの風情を味わう余裕もなく、中程の神社で挫折。折り返して半ばにあった「石畳茶屋」で一服。古い民家風の造りで、ここも落ち着ける良いところだった。

這々の体で金谷駅に戻り静岡へ。構内で一服してからこだまに乗り込んだが、何とも異常な集団に出くわした。四人で九つの席を独占し、車内は彼女らの化粧室と化している。傍若無人の連中は、番号を合わせた他の乗客を尻目にもかけずに、通った車掌もな為すすべもなく、結局、自分の番号を占領された家族連れは、自由席に移動していった。熱海でのコンパニオンかと思ったお水風の彼女たちは、結局新横浜で下りていった。色々楽しい行程の充実した旅の中で、なんだか、そのエピソードが今回の旅で一番疲れる話だったような気がする。