身を乗り出して星を見る/SL旅行記


K氏の夏休みに相乗りして、初めてSL列車に乗ってきた。運行回数が少ないので早めに出かけて、ぷらっとこだまのサービスを使い静岡を経由して、大井川鐵道の始発駅金谷へ。今回は素天堂の体調を基準にゆったりしたダイヤ設定のため、ノンビリできた。
金谷に到着して、SL列車入構までの時間を潰すつもりで駅前に出てみたが、特にお店もなく線路に沿って坂を下ると、ガードの手前に「旧東海道石畳」の表示があったものの、時間が中途半端であきらめたのだが、それが、後日になって大変なことになるとは。
大井川鐵道売店で、弁当を買ったりしている間に出発時間が迫り、K氏からチケットを受け取りホームにはいると、古式豊かな電気機関車で牽引されて、お目当てのSLが入構してきた。C11型の小型でかわいらしい機関車の登場である。幸い平日ということで、混み合ってはいるが満席にもならず、ゆったりと発車かと思ったが、大人数のグループが席順でがやがやしていると突然、ガタンと大きな音を立てて発進。アタフタした空気の中で汽車の旅の始まりである。
車窓は閉じているはずなのだが、石炭の噴煙の懐かしい香気が車内を漂い始める。小学校の傍らを走る南武線の貨物車の話などをK氏相手にしながら、昼食の駅弁を開く。ウナギの巻きずしがメインというなかなか洒落た駅弁だった。

古色蒼然を絵に描いたような車内ではシャッター音が鳴り響き、グループ旅行の大声で埋め尽くされている。尤も汽車はそんな積み込んだ喧噪にお構いなく、殆ど全線に繰り広げられる大井川の造り上げた絶景の中をひたすら走り続ける。
  
旅程一時間を超える汽車の小旅行は瞬く間に終わり、終点の千頭駅アプト式井川鉄道の連絡駅)は降り立った観光客で埋め尽くされ、象に群がる蟻のような即席鉄道マニアに囲まれた車両は、再びカメラや携帯電話の目標となって立ちつくしている。寸又峡へのバス待ちの時間、駅周辺を歩いてみる。何にもなかった金谷駅前と違って、更に奥地への中継点となっているためか、ちらほらと土産店もある。散歩がてら向かった、上流の橋から駅を見下ろすと、金谷へ戻る汽車の鳴らす警笛が、橋まで聞こえてくる。川幅がいつまでも狭まることのない雄大な大井川の岸辺を白い噴煙を上げながらミニSLが走り出していた。
  
今夜の宿泊地寸又峡までは、更に四十分掛けて大井川沿いを、バスで上流へ遡らなければならなかった。窓際の席は下も見られない崖の連続で、沿線の雑木林の枝が車窓を叩くこともあった。スリル満点のバス旅行は、紅葉途中の山並みに囲まれた、小さな鄙びた温泉街で終わった。時間をたっぷり取ったスケジュールもあって、バスの折り返し点で降りた時は三時を過ぎて、山蔭の街には既に夕闇が迫りつつあった。途中の井川鉄道の奥泉駅から乗った女性グループはまだこれから、一時間以上の行程の吊り橋を渡るのだというが、昼なお暗いという形容がぴったりのあの山道をおばさんたちは渡り切れたのであろうか。
バス停周辺には、観光客相手の土産物屋も数軒あったが、道ばたの自販機が、アルコール飲料も含めて定価のままに設定されていて、酒屋はなくとも自販機で用が足りる商売っ気のなさに驚いた。行くあてもないし少し早いが、とりあえず本日の宿に直行することに。その自動販売機の脇の狭い露地の坂を上り詰めると何軒かの宿が並び、一番風情のある宿が、本日の目標、旅籠甚平だった。

早めのチェックインをすませ、早速露天風呂へ向かう。硫黄泉だというがあまりきつい匂いのない軟らかい湯質が気持ちよかった。

部屋に戻って、千頭の駅前から重い思いをして背負ってきた500ml缶を開ける。マッタリとした時間が気持ちいい。空腹に我慢ならず呼びにもこないのに食堂へ行く。番頭さんが慌てて食堂に確認に来た。百年は経つという大広間で雉肉のしゃぶしゃぶを中心に、焼津直送の刺身盛り合わせ、しらすの炊き込みご飯、桜海老かき揚げETC、十分すぎる歓待に目を瞠りつつお銚子二本が瞬く間に消える。堪能して部屋に戻り、窓を開けると見事な星空が山並みの間からチラリと見えた。窓から身を乗り出して小さな空の星を眺め、北の空に数十年ぶりのカシオペアを見た。昨日までの疲れにバッタリと布団に倒れ込み、第一夜は終了。