煉獄の熱気を抜けて

ネタ切れの繋ぎで企画した別巻だったが、思いもかけない伏勢のお陰で七転八倒。細切れで使用した、部品の補充に呻吟していた旧版「まぼろしたてもの」の苦肉の策の再構成が、本来の主旨どころか、その玄関に辿りつくことも出来ずに終わってしまった。
その原因が、震災後の三月下旬、臨時休業が続いた神保町を歩いていて、恰好の材料と思われる古雑誌が手に貼りついてきた。『国際建築 特集建築のヴィジョン』1963.11である。ご覧の通り、表紙シミ、背コワレの訳ありだったが、開いてビックリ。

一九六三年といえば、高度成長期を経験したじいさんたちの夢であった、「東京オリンピック」で街中が穿り返されていた年である。現にその巻頭特集は建築途中の日本橋頭上の高速道路なのだ。この橋のたもとの洋酒メーカー本社で『洋酒天国』のバックナンバーを入手するのはまだ三年あとになる。

まだ都電の線路が見えている半世紀前の東京で、そんな展覧会が企画されていたとは夢にも知らない高校入学前の素天堂が、芝の東京プリンスホテルへ「ダリ展」を見に行った年だった。そんな時代に開かれた「建築のビジョン展」など、たいしたことはなかろうと手にとった雑誌だったが、とんでもなく水準の高いものだった。
そこから穴埋めに図版の一枚、二枚でも使えればと思ったのが運の尽き。展観される建築家の幅は広いし、素天堂の範疇では、いわゆる幻想建築に含まれない作家が数多く取り上げられていることに気がついた。しかも企画はニューヨーク近代美術館、名うてのプロデューサー、アーサー・ドレクスラーなのである。元の企画展は一九六〇年、コンラーツ、シュペルリヒの『幻想の建築』の発刊とほぼ時を同じくして開催されているのだ。そこから、建築家にとっての幻想とはなどという、とてつもないテーマに遡らざるを得なくなり、結局三月から始めたはずが、まったく新しい構成を作り始めたのが六月半ば、ほぼ一ヶ月かけて取っ組み合いの死闘となってしまった。
残念だけれども、時間切れで新刊に挿入できなかった「屑屋城」をここでアップしておく。

しかしながら、素天堂の軟弱な元原に容赦ないアカを入れたK氏の尽力によってつくり上がった本論はともかく、MoMA原資料の発掘と、『国際建築』からの復刻再構成、谷口吉郎の「二笑亭」に関しての、増補改訂論文という二本の柱は、充分お楽しみ頂けることと思っている。取りあえず、覚束ない足取りながら今回は『黒死館逍遙』別巻1の完成である。