手続完了 『肉体の門』つながりで戦後の思い出話

今日雪の中、事業所に出掛け退職手続をして、ロッカーの整理。早めにいってみんなに挨拶が出来た。
帰りに、東銀座で降りて、奥村書店さんへ。この間、散々話したからもうネタはなかろうと思っていたら、この間見た『肉体の門』1948と銀座の昔話で、またもや三時間。雪で来客が少ないのをいいことに、まるでインタビューのようであった。お店にあった戦前・戦中・戦後を通観した写真集をネタに話し込む。
あの映画で一番の疑問だった、白い正面と入口の階段が特徴の、銀座教会だが実は焼け残っていたのではないかという。奥村さんはミッション系の学校だったので、銀座教会は当然通ったこともあったし、妹さんは結婚式まで挙げたそうだ。建物の様子やその時の光景を聞いたのだが、実際、戦火は受けた様子はなかったらしい。礼拝堂の椅子が木製で古びていたのを覚えていらっしゃった。
松屋や、和光のPXは残されているのに、その写真集にはなぜか教会の写真は一枚も残っていなかった。理由はわからないが、なぜか被写体から外されているような気がする。
当時の写真を見ると、あれだけの爆撃にも拘わらず、戦後処理に必要な建造物はすべて残されていたから、同教会存続も米軍の戦後の意向に関連していたと思しい。当時の数寄屋橋付近の状況を映画の場面から話すと、ほとんどその通りだったそうだ。泰明小学校出身で当時中学一年生だったご主人の話は、実際生々しかった。聞いてよかった。