枕元に積んでおきながら

最後の頃には、その作業が、本を読むという行為を邪魔していたと思い込んでいた。だから離れてきたのだと。
ところが、今日、自分から頼んでやらせてもらった風呂の掃除をしていて、ふと、考えた。2年弱のあの作業が、ちょっと拘束時間が長かったかも知れないが、実は作業自体は自分を洗い流していてくれていたことに気がついた。
どんなことでも、好きなだけ、思い通りになんて、出来るもんじゃないんだ。
階段の一段、一段を降りながら進めていたあの作業を、無心の作業とはいわないが、きっと、あの場所は追い詰めそうになる自分を、忘れさせていてくれたのだとおもう。考える時間がなかったのではない。それを忘れることの出来る時間だったのだ。
もう戻ることは叶わないが、あの作業を自分は嫌いではなかったのだなと、おもう。また、あの喧噪の中で、あの時の誰かに会いに行こう。歯切れのいい、仲間だったおじさん、おばさんの声が耳に甦ってくる。
煮詰まった挙げ句の逃げ口上かも知れないが、夜明けに起きて、そんなことを考える。いくらでも読めるはずの本を抱えて(実際、長い間読みたかったはずの本を読んでいるのに)、本から逃げることばかり考える。