失われた繋ぎ目 七転八倒の罅を埋める

未だ拡げてもいない風呂敷のあまりの大きさに身をすくませる毎日。ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』という大伽藍から、旧約聖書の記述へ飛び、更にさらに中世の大伽藍まで辿りつかなくてはならないのだが、如何せん基礎知識の欠如は、中途半端な追いかけ読書では埋まってくれない。例えば、ユダヤ教聖典である旧約聖書が、どうやって中世のキリスト教の隆盛に繋がって行ったかとか、なぜ、ギリシャ・ローマの文献が異教の文書でありながら、中世に伝わってキリスト教の教義に影響を与えたのかとかの西洋史上のミッシング・リンクについてである。
本来であれば、キリスト教が国教となった時点で異教的な神話や伝説は失われていたはずであり、ゲルマン人の凌辱で、ローマ帝国が壊滅的な打撃を被ったのであれば、当然それと同時にキリスト教というものも消えていったはずではないだろうか。そういった初歩的な疑問は、一般的な中世史や、ローマ帝国史では明かして貰えない。当然ながら、ジャンルとしてのそれぞれ個別の史観では、その繋ぎ目は検討の対象とはならないからなのだ。
『逍遙』バックナンバーでも、「ケルトルネサンス」で同様の疑問に触れたことがあった。その時は、周辺からのアプローチで、中世初期におけるケルト人の文化とゲルマン人のローマ行政にならった国造りの融合でお茶を濁したと言っていいかもしれない。それについて触れた文献がほとんど見つけられなかったからである。

聖者と学僧の島―文明の灯を守ったアイルランド

聖者と学僧の島―文明の灯を守ったアイルランド

そんな罅を埋めてくれる資料が実はあった。とっくの昔に存在はしていたのだが、著者がジャーナリストであり、帯の「全米ベストセラー」の文に惑わされてつい読みのがしていたものだった。『聖者と学僧の島』と題されたドキュメントは、副題である「文明の灯を守ったアイルランド」の言葉どおり、いままで見過ごされてきた古代から中世への変化の時代に、アイルランドというヨーロッパの辺境の小国が担った役割を詳述した貴重な資料であった。
著者は、ローマ帝国末期の『神の国』の著者アウグスティヌスの思想によるキリスト教の変貌を語り、ゲルマン人のローマ侵入を分析しながら、古典古代の凌辱に手をこまねくローマ内部を描く章は比較的長いが圧巻である。
この書は、学者が踏み込めない部分をジャーナリストの目で捉えなおし、古代史の中で、聖者パトリックと彼の後継者たちがキリスト教の広布と、古典古代の資料の存続に努めた役割についてわかりやすく書かれた、価値ある一冊だと言っていいと思う。更にその後、ローマを拠点とした正統派キリスト教が、如何に聖パトリックの後継者を無視し、世界史の中心から消していったかを書いた最後の一章は、短いが重い。