名文

特に物書きでなくとも、達意の文章は覚えているものである。ちょっと、くどいかもしれないが有名な例がこれだ。
〈画室は濃い薔薇のかおりにみちていた、そして軽やかな夏の風が庭の木立ちにそよぐと、ライラックの重いにおいや、石竹色の花をつけた茨のいっそう馥郁とした馨りが、開け放たれた扉口から流れいるのであった。〉
ワイルドの『ドリアングレイの画像』西村孝次の名訳である。たった一行に薫りを表す言葉を三回、すべて語彙を変える名人芸である。
それに比して、以下の例をご覧頂きたい。
〈特にキリストの奇跡を描いた「ラザロの復活」に描かれたゴシック風の廃墟が描かれた背景は美しいものである。〉
特に名を秘すある方の、進行中の原稿からの抜粋である。たった一行に三回同じ語彙が登場しながら気づきもしない。いくら何でもと、校正者に大笑いされたが、こんなものから、人様に読んで頂けるようになるまで、どれだけ校正者の手を煩わせているのか、自戒をこめて、ここに曝すものである。戦争という言い回しは、少なくとも対等の能力があって成り立つ。今のこの状況は果てしない学習でしかないのである。