京都二日目は疎水と美術

ゆっくりする積もりが思ったより早く眼が醒めたので、昨日買っておいた菓子パンで朝食。早々に宿を引き払い、昨日の伝道会館を目指す。まだ人通りもまばらだったので、撮影はのんびりできた。

その足で、京都駅を目指す、途中に美しいモダン建築を発見したりで、あっという間に京都駅ビルに到着。時間が早かったので、大きなロッカーを確保できた。身軽になって、京都の地下鉄で、今日の目的地、近代美術館方面を目指す。南禅寺近くの蹴上駅で下車。道沿いの土手に沿って北に向かうとトンネルの入り口が見つかる。
まさか、そちらとは思えなかったが道案内に従ってトンネルを潜った。不安になる位しばらく歩くと、南禅寺の入り口についた。ところが、素天堂、目についた煉瓦積みの構造物が気になって、折角の石川五右衛門の旧跡にも上がることなく南禅寺構内を奥に突き進む。



琵琶湖から水を引く「京都疎水」と周辺の緑に魅入られて呆然とする。例によって訳の分からない道から何となく表通りへ出た。突然目の前に工事用のトロッコ線路があらわれる。呆れるK氏も気にせず、大はしゃぎで掘り割りの下まで降りて遊ぶ。
 
途中目についたレストランで軽い食事の後、今日の主目的京都国立近代美術館の方面を目指す。思ったより賑やかだと思ったら一帯は岡崎公園という、平安神宮のエリアだった。目標だった、近代美術館はイヴェントの準備で、館蔵品の常設展を期待していたのだが、小規模で、しかもすべてのジャンルの展示ということだった。目当てだった秦テルオや梶原緋佐子、甲斐庄楠音なども展示されてはいたけれども、少々期待外れだったのは否めない。
がっかりしながら、おもてでお茶休憩をして、平安神宮へ向かうと向かい側の京都市美術館では「大エルミタージュ美術館展」が大々的に開かれていた。敬遠しようと思ってモダン建築の会場を離れようとしたら、一枚の美しいポスターが目についた。洋装、断髪の若い女性が片膝をつき、弓を天に向けている図だった。

その丹羽阿樹子描く《遠矢》1935という作品に惹かれ「京の画塾細見」という地味な題名にひるみながら、入場券を買った。居住圏のせいで、見る絵画も東京を中心とした作品が多く、京都といってもごく一部の全国区的な作家が多かったので、正直、ちょっと伝統を背にした保守的な作品を想像していたのである。もちろん前に挙げた前衛的な、「国画会」系の画家たちも知ってはいたが、それらはあくまでも例外だと思わされていた。
「画塾」という古風な名付けにもかかわらず、彼らは例外ではなく、却って江戸、東京の御用絵師の系譜とは違った、独歩の気風を感じさせる作品群だった。館蔵品コレクションとはいいながら、目を見張る個性の乱舞は、まこと眼福といえる経験だった。残念ながら図録はなかったが、ゆったりとした館内を二度も三度も巡り、ポスターの題材となった作品を含むモダン味あふれる作品を堪能できた。

まだ時間もあるし、せっかく京都に来たのだからと、全くいかんともしがたい理由で平安神宮を観覧することにした。
中学校の修学旅行以来なのだが、広い前庭と明るい社殿がどうも敬虔さと縁遠いのはどうもだなあ。伊東忠太の初期作品だということだが、平安時代の様式の縮小再生産は、伝道会館のような感興を起こすことはない。庭園の中に入ると一転、規模に反した、神経の行き届いた構成とゆったりとした池が心を和ませる。後のスケジュールを考慮して、早めにバスに乗り、京都駅まで市内を抜ける。駅の地下街でお茶をしながら疲れをほぐし、帰りの新幹線まで、重い荷物を運び上げ、五日に渉る長丁場を終えた。
十時過ぎの東京駅八重洲口で降り、日本橋口からタクシーで帰宅。楽しかったけれど、やっぱり疲れた。