怪人のいない「オペラ座」にて  『白鳥の死』を見る

新年のシネマヴェーラ、ベイジル・ラスボーンのシャーロック・ホームズもの『闇夜の恐怖』1946が目的だったが、前回見た『緋色の爪The Scarlet Claw』1944が謎解きとしても面白かったので、ちょっと期待外れだった。
それに対して、『白鳥の死』1937は昨年末の『瀕死の白鳥』1917の流れで、見てみようとしたくらいで何の予備知識を持っていなかったから、振り付けをセルジュ・リファールだと知ってビックリ。バレエ・リュッス出身のセルジュ・リファールはこの映画の頃、パリ・オペラ座のバレーマスターであり、登場する踊り手たちも全てがパリ・オペラ座の後援によるものだったのだ。
さらに原作がポール・モーランだったと知ってもっとビックリ、『夜とざす』『夜ひらく』については前にも日記2006-06-02 - 素天堂拾遺で書いたが、日本に新感覚派の道をひらいた作品の作家で、若干“百合”の匂いのする物語は、モーラン版『オペラ座の怪人』ではあった。
貧しい片親のもとから「オペラ座バレー学校」に学ぶ少女が、憧れを抱くプリマに降りかかったトラブルを見て、子供っぽい反感から対立するバレリーナを奈落に落としてしまう。とはいえ、ここでは、本家の『オペラ座の怪人』とは異なって、子供の世界の幼い軋轢からはじまる物語は、悪意を超えた欲得尽くではない、バレエへの憧れが強調された柔らかいエンディングで終わる。
それに絡んで登場する総協力の「オペラ座」の舞台が、当時最上階にあった丸窓のバレエレッスン場から、大道具や奈落が囲む舞台裏、総支配人が女衒紛いの引き合わせするフォワイエでの場面、少女が逃げようとして行き止まる下水の入り口まで、その頃の「オペラ座」の表も裏も全てを見せてもらうことができた。
それらを背景に二人の看板プリマと、幼いバレースクールの少女たちを堪能できた拾いものの作品であった。戦中に公開されたフィルムは、旧仮名遣いで趣を感じさせる字幕も心地よかった。