本所・深川散歩 怪談編 第一回

「深川七不思議散歩 〜深川高橋界隈〜レポート
江東区のお隣さん、森下文化センターのイヴェントに今回初めて参加した。いろいろ曰くの多い町柄のせいか、休日に移動するとあちこちですれ違う初老以上のグループと出会うことが多かった。まさかそのグループに同行することになるとは思わなかった。然し今回は、東雅夫さんの先導で、地元の怪異と出会えると言うことで相当早くから申し込んだ。やはり人気だったそうで、抽選に当たる幸運に恵まれた。
お隣墨田区の本所七不思議は、浮世絵にも残り、人口に膾炙しているけれども、関東大震災東京大空襲などにより、多くの人名と、伝承が消えてしまい、同じくらい有名だった、深川の七不思議は消えてしまったのだが、僅かな痕跡から復元しようと尽力された方がおり、それをもとに今回の散歩を組み上げたと言うことである。
今回は、まず、文化センターでセンター担当の方と東さんによる初回のガイダンスと、深川七不思議の予備知識のレクチャーを約三十分受けて、路上へ向かう。そこから出来るだけ路地裏を使う、素天堂好みのルートで約二時間の行程の始まりである。
センターを出て左に曲がり、最初の角を本日のメインテーマとなる小名木川の方向へ。最初のイヴェント、西深川橋のたもとに堂々たる存在感を示す、シーラカンス(ゴンベッサ)像を目指す。割合散文的な由来を知り、深川江戸資料館の脇を抜け、次の不思議スポット白河 霊巌寺へ。振り袖火事の際、新川から移転した名刹である。

その門前で、そこに伝わる江戸期の深川近辺の特殊性を、後妻の嫉妬で成仏出来ない、病没した先妻の幽霊という一風変わった怪異を通して語られた。境内の金銅製の大地蔵を拝観して次を急ぐ。小名木川沿いに清澄通り高橋、中村芝翫宅跡の碑を経由して、隅田川に一番近い萬年橋を目指し、鉄造りの欄干から、小名木川の主を探す。
ここから、隅田川を離れ、清澄通りを南下する途中で出会った表札に「×田虎馬雄」さんを見つけてビックリ。
路地を抜けて清澄公園の裏に出、右折してアサノセメントのプラントを左手に見ながら、再び隅田川沿いに戻る。現代的な工場や倉庫が建ち並ぶ中、路傍の小さな石碑で立ち止まる。何と、新川から石島の職場に通う道すがら見つけて感動した、平賀源内エレキテル実験の碑である。長くない波瀾万丈の人生で、最も華やかだった時代の、ささやかな顕彰碑である。その説明中で、大好きだった、早坂暁のドラマ「天下御免」の名前が聞けたのはうれしかった。

次の路地の入口で、仙台堀川の取水口で、再び、今は暗渠に変わって無くなってしまった掘り割りの橋、上之橋の親柱を曲がって、暫く行くと、コンクリートの塊と、鉄の塊が道ばたに並ぶ奇妙な展示にさしかかる。さっき通りかかったセメント会社のここが、発祥であるという屋外ながら重要な展示だったのである。そこには鶴見の丘の上で京浜工業地帯を睥睨していた、浅野総一郎のミニチュア(もしや原型なのか)もここにある。十年程前には旧社屋が堀に向かって建っていたのだが、今は、唯のマンションになってしまっているのが少し残念だ。そのマンションを過ぎたところで、清川橋、大きな堀割と直角に合流している。そこら辺にはまだ海水が流れ込んでいるので、水面にはミズクラゲがノンビリ浮かんでいる。それに混じって昨年話題になっていた毒クラゲ、赤い筋の入ったアカクラゲが混じっていた。
この辺りは、江戸時代の武家屋敷跡で、霊巌寺でもあった様な怪異は、人通りの少ない暗い道の呼ぶ幻影だったのではと、説明を受ける。明治以降空き家となった武家屋敷が、以後財閥の流通拠点となったのは、現在でも澁澤倉庫や、山種倉庫などの倉庫が立ち並ぶ地域のようすでわかる。道中、堀割の上空を跨ぐ高速道路を越えて、永代通りの喧噪に突き当たった。信号を渡り、右に隅田川へ進む。向こう岸の新川で二年保過ごして、縁の深い永代橋のたもとの公園が本日の最終地点。永代橋の落橋という深川七不思議の基となった悲劇の説明を受け手、本日の終了となった。

その後、次回の講座の資料と説明を受けて、三、三五五の解散となった。