里程標は「火の鳥」 バレエ・リュッスの失われた輪を求めて

気がついたら、四ヶ月のご無沙汰でした。
さらに感想の日記といったら、昨年九月以来半年を過ぎていた。勿論その間美術展、映画、etc. も数多かったのだが、「囀り」でそれぞれの感想を書き流してしまうことが増えて、落ち着いて感想を書くことがなくなったしまった。そんな素天堂だが、どうしても積ん読に済ますには惜しい、ある作品を偶然の機会に頂いた。
「バレエ《火の鳥》の起源:20世紀初頭ロシア文化と帝室劇場」
時々参加している、ロシア文化研究を中心とした集まりで知り合った、若い研究者平野恵美子さんのA4版180ページを超える未公刊の博士論文である。
1905年5月からのセゾン・リュスに始まるパリでの、ディアギレフが組織したバレエ・リュスについては、数多く語られているけれども、その原点となっていたロシア本国での劇場文化については、その資料の希少さもあって、それが語られることは今までほとんどなかった。
ミッシング・リンクとしてのその原点を、ロシア芸術の殿堂としての二つの劇場の演目詳細が網羅された一次資料、「帝室劇場年鑑」を現地で詳細に参照分析し、ロシアにおける民俗芸術がどうやって舞台芸術に反映してきたか、あくまでも西欧志向の王室と、勃興する民族主義を反映させようとする制作現場との、対立と融和の様子を巻末の付録と豊富な画像で描き出そうと試みているのがこの論文である。
十九世紀半ばから、二十世紀初頭における音楽家、美術家、職人まで《忘れられた》現場の人々をエピソードたっぷりに取り上げる筆致は、これから知りたいことで充ち満ちていて素天堂のごとき素人読者を飽きさせることはなかった。
そこから、バレエ・リュスのオーガナイザーであったセルゲイ・ディアギレフの思想的原点を読み取り、ロシア舞踊芸術の精華として登場する「火の鳥」へと繋がっていく、時の流れが浮かび上がらせて、この作品は締めくくられる。ここから先は、先人の作り上げたバレエ・リュス像へと繋がってゆくことになるだろう。
 火の鳥/バクスト
そういえば、しばらく前に見ることができた帝政ロシア末期の映画『瀕死の白鳥』1917に、ここで描かれた時代の空気が良く現れていたのを思い出した。ディアギレフとその一党がパリで脚光を浴びていたその裏で、取り残された本家ロシアでこのような映画が造られていたことが、平野さんの語る状況を裏付ける典型になっていたのかもしれない。