珍説愚説辞典 国書刊行会 ISBN:4336045291

 著者たちが思い立って14年、増補版まで30年余。翻訳が着手してから完成まで5年。この広大な書物の何がこの人たちをそこまで駆り立てるのだろうか。
 辞典にはそれ自体が持つ、拾い集めた事実の集積が多ければ多いほど、ある瞬間とてつもないナンセンスの世界に入り込んでしまう危険がある。それを見たければ、原著者自身が述べている通り、プリニウスの「博物誌」を繙けばよい。〈勤勉で誠実な編纂者〉というのが持ちうる最大の危険は、全ての項目の中には整然とした真理と共に愚昧な誤謬も同じだけ存在するのだ。ということを、つい、うっかり忘れてしまうことなのだ。完璧なカタログとはそういうものだと思う。
 文明が進み?先人の遺産目録を整理する、世の大部分を占める後世の賢者たちは、その彼らのご先祖の遺物の幾ばくかを「恥ずかしさのあまり」隠蔽をもくろんできた。その覆っているカンバス布はチョットめくってみようとしても持ち上げられない厚みと重さを持っているのだった。
 現著者二人と、訳者の方は渾身の力でその厚くて重いカンバス地を持ち上げてくれたのだ。
著者序文にいう

規則や階級ということにこだわらなければ、今は危殆に瀕している知性も、愚かな深淵からやってきてまわりで蠢いている怪物や、自らの奥底から出てきて蠢いている怪物にもっと注意を向けることができる。

「愚かしさ」はある種の希望であり、果物の種のように人間の中心に存在する。消化し得ない石として、しかし目には見えない、ただひとつの春への期待として。

 その見本はこの中に3500項目あまり。
 フランス時代のブニュエル映画を支え、バルドーとジャンヌ・モローの大活劇「ビバ!マリア」などの名作を手がけた脚本家J.C.カリエールと、その高校時代の同級生、日本ではあまり知られていないが、一筋縄ではいかない著作表の持ち主ギー・ベシュテルの共編になる本書を、ロミなどの翻訳で我々を数々の奇妙な世界へ誘ってくれた仏文学者高遠弘美さんが、絶妙な日本語に置き換えて我々に饗してくれている。昼寝の枕のつもりが夜っぴての拾い読みになってしまうこと請け合い。ただしそれはあなたにとっての〈春への期待〉になるかどうかは、請け負いかねます。