奇妙な「西洋美術史」

金星堂「西洋美術史」石井直三郎譯 大正12年初版?《譯者序文日付大正5年》
(美術叢書刊行會昭和5年再刊 *本文ページ立ては紙型流用で初版に準じているが口絵が、初版のコロタイプからキャプション組み込みの写真活版に変わっている)
 この本は「西洋美術史」と銘打ちながら実際には戦前には珍しい古代ゲルマン(本文ではチュートン)民族の考古学的美術史。なんでこんな本が出たのかふしぎなのだが、題名のせいか間違えて買わされた人たちが多かったらしく雑本でたまに見かける。126点という当時としては膨大な非古典古代の遺物の写真口絵は古典以前の文化を知るためには貴重だし面白いのだが、ルノアールやレオナルドなどの、いわゆる泰西名画作品を見たい人は困ったろうなぁ。
それについては訳者序文にいわば苦しい言い訳が書かれているのだが唐突感は否めない。しかも、原著名も著者名も削除されてしまっているので、原著を確認することもできない。何とも豪傑本なのだが、なにしろ、ゲルマンから見たローマ帝国の崩壊からヨーロッパ諸国の建国の流れはやっぱり面白い。結局、いいたいのはキリスト教以前におけるゲルマン(チュートン)民族の優位性ということなのだから。
1910年スコットランドで行われた連続講義の活字化本なのだが(現著者の序文は生きているのでその辺の事情はわかるのである)、のちに敵対することになるヒトラー第三帝国の神話的基礎となるチュートン(ゲルマン)至上主義がそこここに窺える。もっとも、ナポレオンのヨーロッパ統一に続く、方法論はどうあれ第三帝国構想自体がロマン主義の鬼っ子であることを考えれば、皮肉かもしれないがロマン主義的愛国性の類似は当然かもしれない。なにしろ、ゲルマンから見たローマ帝国の崩壊からヨーロッパ諸国の建国の流れの描写は一九世紀以降のゲルマン回帰願望の見本だろう。
さらに文中にかいま見えるヨーロッパ本土でのケルト人への矮小化も、当時の英国本土とアイルランドにおける人種的軋轢から起こったものではないか。
とはいえ、現在のようにヨーロッパ史観が多様化していない戦前の日本においては貴重な文献ではあったはずである。実際、素天堂が黒死館関連の資料を漁りはじめた頃は、神話伝説といえばギリシャ・ローマのものばかりでケルト、ゲルマンなどの原ヨーロッパ神話は、一部の北欧神話や児童向けのものを除いてほとんど無視されていたものだ。
それにしても、誰も持っていないかもしれない本の書評なんて。一体どうするんだ。