地震なんか無くったって……

今週から少し生活が変わった。
その変化が明日からだなと思った20日の晩8時頃、この1年買い込んで棚に入らないまま積み上げていた、本と未整理のヴィデオテープの山。微妙に歪んでいたが何とかバランスを保っていたそれらが音もなく根元から崩れて自分の見ている前で、部屋中に広がっていった。地震の時でさえ崩れなかったその塊は、どうやらそれ自体の重みと角度のバランスがが臨界点に達していたらしい。しかも生活の節目になるかもしれないその晩に崩れるという、この1年の不安定さがその瞬間に現れてしまった偶然も、あまりにもおかしかった。
ちょうど食事前だったのだが、それどころではなく1年ぶりに根っこから整理せざるをえなくなった。まず崩れて折り重なった本とヴィデオ、CDを仕分けて見えてきた壁側の棚の中身と比較する。棚の結構な部分を占めていた「SAVOY」の復刻版を引っ張り出し、空いたところに大きめの本をさす。さらに空いたところに文庫、新書類を取り敢えず(これが本当はいけないのは重々承知なのだが)並べ直す。棚の手前の空いたところに雑多なヴィデオ、CDを綺麗に積み替える。やれば出来るじゃないか。作業中、その作業のあまりのナンセンスさに、自分自身を苦笑いしてしまう。
おかげで、現在はビオイ・カサーレスの「モレルの発明」もワイルドの「テレニイ」も、持ってないと思っていたラシルドの「ヴィナス氏」もみんな見えるようになった。奥泉光だって、ピーター・アクロイドだって。さぁ、これでいつでも読めるぞ! 新書版の谷川渥「廃墟の美学」なんか、2冊もその山から出現しおった。なんと2倍もこれから楽しめるのだ。これを至福といわずなんと言おうか。
なんと充実した2時間半だったことか。
それ以来、大きな箱に入った「SAVOY」の復刻版は、自分の移動につれてこの狭い部屋をさまよい続けている。ある時は座椅子の上、ある時はパソコン前の椅子の上、というように。哀れなるかな、ビアズリイよ。おまえにいつの日か心地よい居場所を見つけてやれるのだろうか。