ハインリヒ・ハイネの小さな本

 キリスト教によって地中に埋もれさせられたゲルマンのいにしえの神々。思わぬ迫害によって辺境に追いやられ魔神(デーモン)に姿を変えさせられてしまったギリシャの神々。それらの悲劇の神々を語ることによって、グリム兄弟によって掘り起こされた、眠れるゲルマン、さらにヨーロッパ古代の民衆知を生き生きと紹介している。ハイネは禁じられた民衆革命家としての発言をこの小さな本にこめた。ロマン主義という日本では勘違いされてしまった観念の本当の形がここにある。ただし、冒頭にこんなことを書いたからといって、この本が堅い思想の本だと思わせてしまったら素天堂の書き方が間違っているのだろう。
 【ヤーコプ・グリムはおそらく、悪魔が自分に材料を提供してくれるように、自分の魂をやることを悪魔に約束したにちがいない。】
 自ら道具として使用したグリムの諸作に対する最大の褒め言葉のとおり、ここに繰り広げられる“精霊たち”の生活は生き生きとして、さらに瑞々しい。ちりばめられた固有名詞とそれを取り巻くエピソードにはハイネ自身の採集したものさえ含まれて愉しい。訳者による注は、簡潔にして網羅的なゲルマン・ギリシャ神話辞典になっている。

ヴェヌスという悪魔トイフェルは
あらゆる悪魔トイフェルのうちでもっとも悪い。
その美しい悪魔トイフェルの手から
そなたを救い出すことはできない。

そなたは今、みずからの魂で
肉の快楽の償いをしなければならない、
そなたは永遠の地獄の苦しみに突き落とされ、
罰せられるのだ。

末尾に添えられた古詩「ダンヘユザーの歌」の(ハイネによって)改作された訳の一部です。ここでは、法皇の言葉としてキリスト教の精霊觀が語られていますが、いかなキリスト教としても、ヴェヌスの魅力は全否定できよう筈もないことがわかります。
でも、「丘の麓(美神の館)」とは違ったヴェヌズとタンホイザーを垣間見ることができませんか。

「流刑の神々・精霊物語」ハインリヒ・ハイネ著小沢俊夫訳 岩波文庫
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