たぐいまれなる誘惑者 レスボスの女王 誘惑者ナタリー・バーネイの肖像

 ジャン・シャロン 小早川捷子譯 国書刊行會1996 ISBN:4336038147

このところ変態づいてと言ったら、周囲から「お前が変態から離れたことがあったか」と大笑いされた素天堂です。そこまでいわれたら居直るしかないわけで、今回は世紀末レスボスの女王ナタリー・バーネイの評伝。関容子「日本の鶯 堀口大学聞書き」を思わせる若い著者と晩年の“アマゾン”との心のやり取りが心地よい。手紙を整理していておこるこんな会話。

「ところでジャン、このジャクリーヌってだれ?」
「だってナタリー、あなたがご存じないのに、私にどうしてわかるでしょう?」
爆笑。そして顔も消えて名前しか残らない、束の間の情熱についての考察。

そしてこれに続く膨大な関係した女性のリスト、女性版「ドン・ジョバンニ」の「カタログの歌」にはその回数まで書かれていたという。素天堂も最初こそ細かいエピソードを拾っていたのだが、ついにその分量に引用を諦めたのです。
序文に変わる巻頭のマルグリット・ユルスナルの私信を始めとする、全編に鏤められる芸術全般にかかわるきら星のごとき固有名詞群に目を眩まされ、勿論女子同性愛者としては当然かもしれないが、さらに戦闘的とも思える自分の性向への偏愛、意志に圧倒される。パリ生活最初期における世紀末のドミ・モンドの女王リアーヌ・ド・プージィとの素敵な関係。
後半の生涯にわたる画家ロメーン・ブルックスとの愛情生活は、そうか、あのイダ・ルビンシュタインとの関係なんか、本当に一時の浮気に過ぎなかったのだなと思わせる。だって、この膨大な記録の中に、イダのイの字も出てこないのだから。そういえばイダのことをちょこっと書いた時の重要な資料であったロベール・ド・モンテスキューの評伝、フィリップ・ジュリアンの「1900年のプリンス」ISBN:4336038155出版記念パーティーを開いて貰っているのだ。
この美しい挑戦的な“誘惑者”は、広大な田舎アメリカから頽廃の最先端都市パリを訪れ、二度の大戦にも大恐慌にもかかわらず、その生涯を、自らの我がままと性向にあくまでも忠実に、一世紀になんなんとするその生涯を閉じるのだが、その晩年の幸福な証言者たりし著者の“この上なく主観的”なこの評伝によって、美しいままで永遠の生命を得たのかもしれない。彼女の箴言から。

偉大な人はすべてボズウェルのような人物を持つ。そしてそれはしばしば偉人ボズウェルその人である。