面白い十八世紀めぐり 驚異の発明家エンヂニアの形見函 アレン・カーズワイル 大島 豊訳 東京創元社 asin:4488016359

物語はあるオークションでめぐり合った奇妙なオブジェからはじまる。鸚鵡貝、木製の人型、懐中時計などで構成された枠取りされた木箱から作者のフランス十八世紀、アンシャン・レジーム(旧体制末期)への旅が始まる。主人公である少年の人面疽(なんと当時の国王の肖像に似ているのだ!)のように奇妙なホクロのとんでもない削除手術から、精妙な機械装置にとりつかれて発明家(エンジニアと読む)となってゆく、数奇な生涯への旅だ。
それは啓蒙の灯りが射す十八世紀というメダルの裏側、古代のままの魔女医者(主人公の母である)の存在や、当時におけるポルノグラフィーの出版事情(この書籍商の嫌味な性格はすばらしい)に振り回され、奇妙な機械工学にとり憑かれたイエズス会を破門された老伯爵によって技術と思考を与えられつつ、奇妙な恋愛関係も含めて、主人公は十八世紀末、旧体制からフランス革命の大波を浴びてその生涯を閉じるまでの、壮大とはいえないが結構不思議なパノラマだ。主人公を巡って何人もの仲間が集ってくるところは、まるでフランス版「八犬伝」でも見ているようだった。
フランクリン、モンゴルフイェ兄弟、キルヒャー、からくり人形師ドロやヴォーカンソンをはじめとする当時の科学技術に関する引用や、風俗に関する細部が生き生きと自然に物語に取り入れられて、大革命前後の風景がつぎつぎと矢継ぎ早に繰り広げられていって、ついに完成する主人公の作品こそこの時代の不思議な象徴なのだろう。とはいえ当時の技術水準ではロボットやからくり人形の存在は、見世物として人を喜ばせるエンターテインメントとしてしか、機能できない。それでも、自然を全て人間の手で複製したいと言う衝動(それは人間が神の所業を簒奪すると言うことだ)が、いつでも人間にはある、そんな知的な衝動がこの作品の大きな背骨になっていて、

神があの人の科学だったのか、科学があの人の神だったのか

イエズス会によって宗教から追われてしまった僧侶技術者のこの言葉こそ、人間が神の軛から逃れながらも、結局、新しい知的苦悩を味わうことになってしまう引き金としての疑問が生まれた瞬間だったのだろうか。まあ、小難しい理屈はともかくとして何しろ面白い十八世紀ではあった。