クノーの読者は苦悩しない、しかし作中人物は……

イカロスの飛行」レイモン・クノー 滝田文彦訳 筑摩書房 1972 オリジナルはもちろん文庫も品切 
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クノーの作風といえば、前衛的な試みをしていながら、読者にその作為を感じさせないで、エンターテインメントとしての読書を味あわせてくれるところにあると思う。30年ぶりに再読したこの作品の印象は、そのイメージを壊すどころか30年を経て老獪になった(と思う)読者は改めてその感を強くした。
話は世紀末の凡庸な作家の書斎の朝。その書きかけの原稿から消えた登場人物「イカロス」をめぐる、登場人物を捜す作家とその作家仲間、やはり、とってもつまらない他の凡庸作家の作品から逃げ出した、他の登場人物たちが入り乱れてくり広げるスラップスティック・コメディー。それは作中にもあるとおりいかにもピランデルロ的な構成である。さらに不条理さとテンポの早いせりふを多用した、短いシークェンスの積み重ねで思い出すのは、お国の先輩である“カミ”である。イカロスの恋人が自転車用ズボンのデザイナーをはじめたり(ここら辺は帽子屋からはじめたシャネルの最初期を思わせる)や、彼が勤める自動車ガレージの親父の未来予測など、当時の最先端をいく風俗と相まってまるで「ルーフォック・オルメス」シリーズを読むようだった。
もちろん訳者の言葉通り、最終章におけるイカロスの、自分で発見した天職(空を飛ぶこと)によって我が身を滅ぼすシーンなどに代表される、通俗作家のありきたりな作品に対する登場人物の苦悩と逃亡は、間違いなくつまらない小説への批判なのかもしれないが、実際に、読者に提供された作品はそう、まるで「新青年」に掲載されていてもおかしくない、ナンセンス冒険小説だったのだ。これより10年前に書かれた「地下鉄のザジ」が、元気な少女のパリ巡りを、ナンセンスな筆致で書いたように。これこそ、おもしろい小説の見本なのだ。