恋の島は夢の島? 「禁じられた恋の島」エルザ・モランテ 大久保昭男訳 

世界文学全集“グリーン版”Ⅲ−18 河出書房 1965
戦後の'50年代を過ぎた頃から暫く、文学全集が出版社の収益を支えたことがあった。揃えることで知的満足感を得るという、安易なスノビズムがその収益をもたらした時代で、講談社、新潮社の大手から集英社筑摩書房中央公論社へといたる中堅出版社までが軒並み各種の文学全集をラインアップしていた。勿論昭和初期の、改造社春陽堂をはじめとする、所謂円本ブームの戦後的踏襲だったのかも知れない。さらに当時、土地が商品として値が付き戦後の土地持ちとなった首都圏の農家に思わぬ大収入をもたらした結果の、新築ブームを当て込んだ豪華(にみえる)な装幀のデラックス版から、読みたいが金のない若年層をねらった「文庫よりやすい」が売りの全集もあった。文学の持ち駒のない出版社では、平凡社小学館、学研などから書棚はできたが、並べる本のない新築農家や土地成金に、百科事典が売り込まれた。開かれもしなかったその頃の本が今でも端本として、古書店の店頭の見切り本コーナーにウンザリするほど並べられていたのはみなさまご存じの通り。
それらの全集では、定番作品や映画で大ヒットした原作などの大衆受けをねらった作品の羅列されるなかで、僅かでも、編纂者の個人的な趣味や、文学的“良心”によって選ばれた作品が、それらの全集の中に組み込まれることがあって、発行部数は少ないが一部の愛好家に受け入れられたそれらの作品が、あとあと、再認識されてその全集の存在価値となることもある。今回紹介するこの作品が、河出グリーン版全集のいわゆる効き目であるかどうかはともかく、全100巻のうち第3期20冊、その18巻目であるということで、当時の映画公開に合わせたキワ物的あつかいだったのかもしれないが、結果的にそれは素敵な選択だった。この作品はたぶんこういう形でなければ日本語で残ることはなかった作品なのかもしれない。現に数回版を重ねているのはこれが人気全集の1冊だったからだと思う。
素朴で旧弊な南部イタリア、美しいナポリ湾の沖合に浮かぶ小さな島に「男の館」という奇妙なふるいお屋敷があった。手入れもされずあれ放題のそこには、年に数回しか戻ってこない持ち主がいて、その男のたったひとりの子どもは、いつも小作人の男によって面倒を見られていた。つまりその男の子には、物心が付いて以来異性の代表としての母親というものがなく、僅かな接触を持っていたのは気まぐれな父親と、育ての親代わりの小作人しかいなかったのだ。そこにあるのは父に対する無条件な尊敬と、早くになくなった母への淡い思慕だけだった。さらに育ててくれた最初の小作人への愛情と、それ以外の島民へのいわれなき侮蔑。そこから、異性というものに対するいっさいの接触と、他との交わりを拒絶した、ある意味純粋培養としての少年ができあがったのである。主人公アルトゥーロにとって、この島は彼の孤独だが美しい、小さな完結した世界だった。夏の海遊びと冬の読書に明け暮れる、この島のように平和で、静かな彼の生活は、ある日、気まぐれな父の結婚相手が父と共にこの島に現れたときから、急激な変化が起こってくる。本土のナポリの貧乏な家の娘である新しい母親は、アルトゥーロとほとんど年のちがわない若い娘だった。母とはいっても実際は同年輩の異性の彼の暮らしへの闖入だった。初夜に始まる父と彼女の夫婦としての暮らしは、数日で終わり、父は再び彼女を置き去りにして、本土へ行ってしまうのだ。そしてそこから、おたがい気まぐれな父の被害者と云っていい同士の奇妙な同居生活がはじまる。
というわけで、映画「甘い生活」や「軽蔑」で知られるイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの妻でもあるエルサ・モランテによって描かれた奇妙なイニシエーションの小説「禁じられた恋の島」とその主人公アルトゥーロの奇妙な恋については、以下次号。