禁じられたのは、恋だったのだろうか。

「禁じられた恋の島」エルザ・モランテ 大久保昭男訳 世界文学全集“グリーン版”Ⅲ−18 河出書房 1965
主人公の少年が自意識に目覚めて、幼年期の自分の分身でもあった島を出、あとになってから少年にとっての恋というものが、その少女との感情の起伏そのものであったことが述べられているものの、終に二人で暮らすあいだには主人公の少年と、その義理の母親である若い娘のあいだに、恋らしきものはとうとう湧き上がってくることはなかった。ある意味、思春期の少年としてはまことにわかりやすい感情の流れだったし、純粋に育てば育つほど成長してゆく自分の醜さが際立ってくる。そんな幼いころに母を亡くし、周辺にも異性の影のなかったこのアルトゥーロ少年の、はじめて対面する異性に対する歯がゆさが見事に表現されていて、そんな意味では見事な青春小説だったとおもう。
それよりもこの作品では、同性愛者である彼の父の、傲慢さとは裏腹の卑屈といってもいい、作品後半の行動の方がある意味興味深かった。なにしろ、微罪で投獄された恋人を、自分の手の、声の届く範囲に置きたいがために、収監された恋人を自分の島の監獄に移送させるくらいなのだから。しかし、それほど一途に惚れ込んだ同性の恋人が存在しながら(しかもその相手はストレートだし)、何故に、ナポリから札束で脅してまで、いやがる娘を再婚相手にしたのかがわからない。気まぐれで妻にした娘には子供もでき、ということは子供を作るような行為を、彼はその娘にできる程度の異性に対する欲望もそれなりだったのだろうが、その後は自分の子供に預けっぱなしで、自分は遊び放題というのは、一体これのどこが“禁じられた”恋なんだろうか。うーん、読んでる時は面白かったのだが、一体どこが面白かったのだろうか。
そういえば建築好きの素天堂にとって、彼らの住む奇妙な古い屋敷や、恋人の収監された城塞跡の監獄の描写がいかにもヨーロッパの片田舎らしくて楽しいものではあったが……
ナポリ湾に浮かぶ小さな島「プロチダ島」http://www.procida.net/