「最後の審判の巨匠」 レオ・ペルッツ 垂野創一郎譯  ISBN:4794927452

而もそれは、推理が決して論理を缺くようなことなく、記憶が私の身の上に起こる事柄の最も些細な細部をも逸することなくしてである。   「夢と人生」  G.ド ネルヴァル 佐藤正彰譯
 奇妙に曖昧で、奇妙に明晰なこの作品のストーリーは、素天堂にとって、本来対立関係にある「夢幻」と「探偵小説」を融合させて見せてくれたような感じがする。「最後の審判の巨匠」を読み終わって、作品としては先ず、こんな手があったのか! というのが第一印象。奇妙な連続自殺(!)事件を解き明かしていく3人の人物が遭遇する古文書の謎と、そのうちの一人である語り手によって語られるある種アヤフヤな事件の描写の原因とが相まって、この物語は形成されていく。
 ここで理屈を言わせていただけば、鼻祖ポーの「モルグ街」から筒井康隆の「ロートレック荘」に至る、事件の中に含まれた謎を読者に曝しつつ、それを一方で覆い隠し続けなければならなかった探偵小説というジャンルは、その性質上、いつでも新しい叙述への挑戦だったと思う。だからこそ、ロブ・グリエを始めとするフランスにおける往年のアンチ・ロマンの動きがそうだったし、最近のアメリカや日本の一部で探偵小説の手法を取り入れた文学作品が目立って登場するようになってきたのも、推理という論理の厳密性と、感情という、情緒の塊のような不確定なものを融合させる方法として、探偵小説的叙述技法が矛盾する人間性の表現に適しているからであろう。それを期せずして実行してきたのが、一級のミステリだったとすれば、当然この作品も一級品だといっていい。訳者の周到な解説にもあるとおり、作者はこの作品を“犯罪小説=探偵小説”としては書いていなかったのかもしれない。しかし、作者はどうあれ、ベンヤミンの評言通り、読者は読者なりの受け止め方をする自由を持っている。
最後の審判の巨匠」という表題にもなっている、このルネサンスの画家を素天堂は不明にして知らないのだけれど、そんな画家がいるのなら作品を見てみたいものだと思わせる。で、原綴で検索したら、この作品の評論、しかも独文の、しか引っかからなかった。師匠にあたるピエロ・ディ・コジモには「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」という美しい胸を露わにした魅力的な作品が知られているのだが。