毛の生えたコーヒーカップとある画廊の想い出。

その頃の通知ハガキ

 最近、このダイアリーの裏ページ(編集)で、リンク元をチェックするのにはまっています。自分が考えもしない組み合わせで検索されて、それが何故か当ページが筆頭にあったりすると、なんとも複雑な感じがする。とともに、思わぬ拾いもののページにあたったりするのが楽しい。 最新の日記に、「オッペンハイム+コーヒーカップ」の検索データがリンクされていた。検索した方には大変お気の毒ながら、なんとこの日記のhttp://d.hatena.ne.jp/sutendo/20050228しか、ヒットしていなかった。あの魅力的なオブジェに魅せられて検索したであろうその人は、「紳士の酒場 叶屋」と一緒に駄文を読まされたのだ。うーむ、ネットにはろくな情報がない、と常々云い散らかしている本人がろくでもない情報を流しているのだから世話はない。検索エンジンの性能がスゴイのはいつも重宝していて、よくわかるのだが、そのヒット率という概念が素人にはわからないのだ。例えば「メレット・オッペンハイム」で検索すると、展示している横浜美術館のサイトより、素天堂拾遺の方が上に来るというのがわからない。実際、その検索結果を見て苦笑いしてしまいました。でそればかりではあんまりなので、ちょっとメレット・オッペンハイムに関する想い出を。
 中学生の頃、図書館にあった河出書房版の現代世界美術全集で、シュールリアリズムの画家たちに魅せられた素天堂がバイト中に見つけたある画廊がありました。銀座といえば、今でも画廊のメッカです。表通りに面してまるで現代日本美術のデパートに紛う「日動画廊」(とはいえ、素天堂はそこで、ジャン・カルズーという魅力的な作家を知りました)から、今はなきあの古風な油圧エレヴェーターが懐かしい「現代画廊」まで、探す気力さえあれば、多分あなたのお好みの作品に出会えるであろう街に違いありません。
 閑話休題、晴海通りとJRのガードが交差する、(ゴジラが走っている電車をわしづかみにしたあの地点!)の小さなビルの地下にその画廊はありました。そこは、当時珍しい版画専門のギャラリーでした。今でも覚えているイメージは、とても小さく、とても暗い(でもとっても居やすい)空間だっのです。実際は、画像を扱うスペースでそんなに暗いはずはないのですが、素天堂にはそんなイメージでした。もちろんオリジナル作品を買えるはずもなく、ただ所蔵品を見せて頂くばかりだったのです、覚えている範囲で云えば、土井典さんのオリジナル人形とか、レオノール・フィニの近作とか。そこで、落ち着いたおねえさんのような女性から(そちらが画廊主だったのでしょうか)、まるで、美術の教師のように教えを受けたのを覚えています。
そこには素敵な絵画作品や、写真を複製した海外の絵葉書があったので、少しづつですが買ってかえったものです。エルンスト・フックスの描く奇妙な少女像や、なぜだかドイツ製だと思っていたヴァラエティでおどる少女の写真とか。その中に奇妙にそそられる、1枚のオブジェ写真がありました。それが今にして思えばメレット・オッペンハイムの、コーヒーカップだったのです。本来つるつるであるべき陶器や金属の表面を埋め尽くした毛皮がたぶん、違和感と同時に奇妙で、エロチックな共感を覚えたのでしょう。その前後で、今は手元に資料がないのでわからないのですが、その実物は、フィルムセンターになる前の京橋にあった国立近代美術館で、小さな「ダダ展」(それが日本最初だったのだろうか)を開催した時(1968)に、リヒターやマン・レイの作品とともに展示されたのかもしれません。今では場所も変わって、積極的に若い作家さんを後押しする素敵な画廊になっていますが、版画を主体にしていらっしゃるのは変わりないようです。http://www2.big.or.jp/~adel/grafica.html
というところで、情報が回顧談の方向に行ったところで、目一杯。