実録版 淺草紅團 雑誌「變態心理」 日誌欄より

復刻版 挿絵から

浅草という街は、良くも悪しくも当時の近代東京の最先端だった。モダン都市のイメージが素天堂は大好きなので、それを題材にした小説をよく読みます。スーポーの「モンパリ変奏曲」や川端康成の「淺草紅團」はその筆頭かもしれません。もちろん、初期乱歩の東京もですが。とくに紅團は登場する不良少女たちの魅力がたまらないのですね。「黒死館」がらみで古い雑誌を見る事が多いのですが、その中の雑記事から、その関係のものを二本ほど拾ってみました。
 凶賊ソニア團
下谷區前科六犯楢林伊助(三八)は同妻島村きく(二二)同嫂蝮のお虎事稲葉とも(五二)と共にソニア團なるものを組織し、般若のお久事山口ひさ(二一)を始めとして一味徒黨十六名を集めて『入谷の窟屋』と稱する賍品〈ぞうひん〉を入れる特別倉庫を設け、その周囲に配下を寝かす八件長屋を廻らして、便所から龕燈返しに特別倉庫に出入り出來るやうにして、親分乾分〈こぶん〉の組織も嚴重に、過去二ヶ年に渡って十萬餘圓の大賊を働いて居た事發覺し一同捕縛された。その十六名中の一の乾分青木友四郎は楢林に救はれた棄兒であって其他猩々小僧の孫七は七つの時から繼母に育てられ、九つの時に淺草公園で足尾銅山から逃亡して來たといふ十七の猛獸の幾之助と共に誘拐され、小雷の竹事竹次郎は嬰児の時兩親が行方不明となって居る。又魁小僧の今朝五郎は六つの春兩親に死別れ、十才の時静岡の貨物列車の中で眠って居る中を東京に運ばれ、十四の春まで自分で食ひ自分で育った。目玉の小僧増雄は十三の時、隼小僧八郎は十三の夏、飛行小僧良一は十四の春、孰れも淺草公園の觀音堂附近で楢林に誘拐されたのである。  大正七年四月二九日「變態心理第九號」

 驚くべき不良少女
府下セルロイド會社長水島宗三の長女君子(一三)は、十一歳から不良少女の群れに投じ、活動の辨士山田某(二五)と情を通じて横濱に逃走したが引戻され、赤坂新町の婦人ホーム収容されたが、去月七日同所を逃走し、月島海水浴を根據として掻浚ひ窃盗を働き、堂十日上野廣小路松坂屋の陳列場から女性服一着を萬引きし、それを着用して童三十日、車夫横尾某が門前仲町で客待して居るのを使に遣り、俥の蹴込にあった六圓六十錢入りの財布を掻浚ひ、本月六日は淺草の日本館で見物中の田中よし(一七)中村ゆき(一八)を連れ出して芝小櫻館に投宿し、翌朝横濱に赴いて姉の様な右の二名を淫賣に賣らうとしたのを警察で看破され一同親許に引渡されたが、君子には前記山田の外に某銀行の給仕鈴木某といふ情夫もあって、旅館を泊り歩き、去二四日にも車夫近藤某を偽むいて使にやりその後で蹴込の中の金を盗まうとして失敗し、遂に取押へられたものである。取調べに際しては、「自分は不良少女ハート團の配下で、團長は月島の海水浴場の水浴教師の外妾小泉春子と云ひ先頃騒擾の時には、團長は男装で白木屋を襲はうとしたが目的を果たさなかったけれども、近々一同で大仕掛の仕事をする考へである」と申立てたが、取調べてみると皆眞赤な嘘であった。  大正七年八月三十日「變態心理第九號」