これはアンチ(料理)ミステリーか? 最後の晩餐の作り方 ジョン・ランチェスター 小梨直訳 新潮社クレストブックス 2001.03刊 ISBN:4105900226 

偏屈な趣味人が料理に絡んで自らの過去を振り返る。料理に関しても、家族との追憶話にしても、どの方面にしろ饒舌が鼻につくが、我慢できないほどではないな。そんな印象で読みはじめた第1節の終節。何となく今の着衣の説明がわざとらしいと思ったら、《大きく深呼吸をすればどことなくくすぐったいのは、このひげが付けひげだからであります。》だそうだ。いったいこれはだれだ!読者の誰があんたの鼻の下に興味があるんだ。何でわざわざそれを断る必要があるんだ。と思ったときにはもうこの奇妙な小説の語り手の話術にはまってしまっているのだった。
アメリカの寄席芸スタンダップ・コミックの一部にマシンガン・トークという、めちゃくちゃ早いしゃべりで客を煙に巻き、自分のペースに巻き込んでしまう技法がある(ビバリーヒルズコップのエディー・マーフィーのような)。毒のあるきついコメディアンがよく使う手なのだが、この本の作者は、意識的にそれを文章化している。自分自身の無内容を隠蔽するのに博学でおおった饒舌を持ってし、まるでサブリミナル効果のように自分の本当の姿を多弁のあちこちにまき散らしながら、遠回しに自分の正体を現していく。
最後の方で、あたかもチャプリン演ずるムッシュー・ヴェルドゥーを思わせる哲学論で自らの性癖を理論づけてはいるけれど、それは得手勝手な自己弁護にすぎないだろう。しかし、料理や芸術に関する饒舌の嵐に巻き込まれつつ、意味不明の彼の行動を読まされてイライラしていても、ついには、あるかたちによってしか自分の愛を表現できない話者の性格に惹かれている自分がいる。何となく好きなんだなあ、こんな人。