死児の齢ultimate 回顧談-世紀末編

sutendo2005-06-20

長い間、古本とつきあっていると、誰でもまさかというような出会いがあるものだ。
勿論前の回で駆け足で書いた、正進堂書店のように何時いっても自分にとって相性のよいすてきな本屋さんもあるが、不思議な出会いで思わぬお宝に出くわすこともある。死児の齢といってしまえばそれまでだが、一生に一度、夢のような本と一緒に過ごせたこともあった。あれは松山俊太郎さんの教養文庫版「黒死館」の編集作業のお手伝いをしていた頃だから、70年代の後半になるだろうか。
などと考えつつ、残っていた昔の手帳を開いてみると、1980年9月3日にそれは残っていた。自分の記憶から、そのころはもっと古本三昧かと思い込んでいたのだが、ずっと新刊購入数が多いのが意外だった。そうだよなあ、手塚全集は勿論、幻想文学大系、ゴシック叢書、バベルの図書館etc.みんな定期購読だったもの。ある意味自分の心情と出版事情が重なっていた時代だったのかもしれない。だからこそ、こんな購入記録を残そうとしていたのだろう。いはば、K書刊行会の現在あるはひとえに素天堂の書棚故であったのである-括弧-笑-。後、漫画(単行本・雑誌)の購入数の多さに自分でもびっくり。そういえば、松山さんのお宅に校正でおじゃまするとき、必ず途中で買った少女漫画雑誌のバックナンバーが鞄から出てくるので、松山さんにあきれられたこともあったし、蓮の文化史を研究している松山さんに、「イブの息子たち」や「ペダルが足にとどく日」を紹介(押しつけるともいう)してあきれられたこともあった。
さてその9月3日なのだが、その日は弟に当時来日するヘビメタバンド ブラック・サバスのチケットの購入を依頼されていた。青山にあったそのプロモーターにチケットを買いに行くように頼まれて、泊まり勤務明けの朝、五反田から青山にきていた。何とかチケットを入手したのだと思うが(弟はそのコンサート会場で縦ノリの若い女性ファンに「おじさんも、もっとノらなきゃー」といわれたとかで、以後、その手のコンサートには行かなくなってしまったのだが)、その後、青山通りを渋谷方面に下っていったと思ってください。
神宮前(現・表参道)駅をすぎて何軒かあるまだ開けたばかりの何軒かの古本屋をひやかしているとき、ある店の店頭で見切りの棚を覗いてびっくり、普段見かけない本の列を見つけてしまった。その、日本ではあり得ない黄一色の固まりは素天堂に「あれ?」と思わせるものだった。たまにいく神保町の大古書籍商のショーケースにそれを見かけたことはあっても、手に取るなど考えたこともない、世紀末の幻そのものが、その棚に並んでいるのだった。冊数は,13冊。欠番は見たところないらしい。値段は今でもいえないくらいのトンデモナイ値段。思わず全巻を抱え込み、これだけでは怪しまれる?と、店内で安い雑誌を何冊か同時に購入。まだ打ち水の乾かない店の前から飛ぶように渋谷に向かい、正進堂なんかその日に限って素通り、宮益坂の喫茶店「トップ」に駆け込んで梱包をばらしたのであった。
ホッとして、開いてみると、ごくわずかな書き込みこそあったものの、1部未開封の部分さえある美本で、この値段は後期に欠本でもあるのではないかとも思い込んでいたが、自宅で世紀末文学に関する資料を調べたら完本であることが判明した。「the Yellow Book」、挿入されたイラストの一部は当時加入していたある同人誌に提供し、その二年後、某古書肆に説得されて、住宅ローン返済の資金になって消えていったのである。そして、大揃いの幻想文学大系とともにその家さえ今はないといえば、これこそ究極の「死児の齢」なのではないか。 http://www.victorianweb.org/decadence/yellowbook.html