ないものを無いと証明すること 黒死館の回り道 カンデルさんへの返信にかえて

黒死館殺人事件」などという奇妙な代物に取り憑かれて、結構な年月がたってしまった。そのわずかな結実が今回の私家本http://www5.ocn.ne.jp/~k594k/tuhan.htmlなのだけれど、そこで取り上げている以外にも、あまりにも多数の謎が作中に鏤められている。例えば作者が存命であれば本人に問いただすことができるかもしれないし、蔵書が残されていれば、作者の思考経路を辿ることもできる、かもしれない。具体的な例を挙げるのはわざとしないけれど、存在するものを見つけることは、比較的たやすい(あくまでも比較の問題であり、それを探すことの困難さは素天堂自体のよく知るところだ)。しかし今回でいえば、「ケルトルネサンス」だったり、「芦刈の在」だったりは、存在しないと証明するために、大きく周辺から取り囲むように、その語彙のあるべき姿を洗い出していくしかない。
「黒死館」における躓きの石の多くは、その作業を一語一語つぶしていくという、悲しくも不毛な仕事の連続なのである。もちろん、常識という味方をかさに「そんなものはありゃあしないよ」といってしまうのは簡単だが、それは、ないかもしれないものを発見するという快感を自ら否定するものであって、そんなことなら最初から「黒死館」などというやっかいな代物は、ある種ナンセンス小説としてとらえればよろしい。そうはいかないからこそ、注釈作業などに取り憑かれてしまうのだし、業なのかもしれない。ないはずのものを無いと規定して、ではなぜ虫太郎はそれを、こね出したのか炙りだす、そこに到る道は四分五裂して、しかも錯綜している。
いつも刺激的な書き込みをくださっているカンデルさん、これで返事になっているでしょうか。